無造作紳士のような彼

自叙帖 100%コークス

社会に出るとこれまでに体験したことを指針とするようになって、確からしさをそこから得て、自力で生きることを目指し、それができたことを成長なり成熟なんだと思うようになる。

僕はいつもその「体験」というものがすごく危ういものだと感じてしまっていた。「体験が重要だ」というとき、普通は獲得したことに意味を持たせていて、例えて言えば、ある地点に辿り着くまでの「これまで」に重きを置いている。

だが、そうではないんじゃないか。大事なのはそこまでやって来た自分のいる位置が最先端で、そこから見える風景のほうで、振り返った「これまで」の見知った景色ではないんじゃないか。
そのときの言葉にならない絶景に息を飲む「!」こそが体験の骨頂だろう。大人になると、自分の得たカードを見せることはあっても、カードの意味を問うようなことは少なくなっていく。でも、ありがたいことに僕の周りには、世間からすると良いカードを持っていても、そこに甘んじない人がいる。
このブログにも登場したことがある、友人マツウラ君もそのひとりだ。

「よお、久しぶり」と、マツウラ君が待ち合わせ場所に現れたが、こっちも「久しぶり」と言うべきところを忘れて、その姿にしげしげと見入ってしまった。

クレリックのシャツにストライプのスーツ、その上に細身のトレンチをまとい、斜め格子の細いラインの入ったブルーの鞄を携えて、靴はといえば、蜜のような光沢を放っている。

なんかめっちゃかっこいい。

大阪は京橋というとタコ焼き屋と立ち食いうどん屋が軒をならべ、庶民的といよりは、猥雑で雑多な街だ。服を着こなしているから違和感はないが、町にそぐわない感じもしないでもない。

「アデージョ(古)とデートでもしそうな勢いの格好やな」というと「レオンなんか読んだことないっちゅうねん。というか、久しぶりにあった友人に開口一番いうことか?」と応酬しつつ、居酒屋へ。

むろんアデージョを追いかけるような安っぽい感じではなくて、なんだかジェーン・バーキンの歌う「無造作紳士」がふさわしい。

“何にもならないが口癖の ちょっとひどい理想主義者
あの人はいろんな調子で繰り返すの 何にもならないって ”

僕はいつか彼の語録をまとめたいとかねて思っているが、グッと来る言葉がやっぱりあって、彼がトイレに立っている間にメモしまくったのだった。

まず初っ端は、入社した新人が社で定められた細かい規約通りの仕事を与えられていないことに、「そんなことは聞いていない」と、まるでネット上に現れるクレーマーのような杓子定規に異議を唱える事態についてだった。
新入社員の言い分は最もであると前置きしつつ、

「そやけどな。そもそも経営者側と雇用される側は、どこまでいっても対立関係にあるのが前提やろ? それを忘れて文面通りのことが履行されて、また自分の立場が理解されて当然というのは、対立から来る緊張関係を見失っているんやないの。向こうからしたら俺が経営者側、ようはインサイドで自分がアウトサイドに見えるかもしれんが、そうじゃない。仮にアウトサイドの緊張感があれば、交渉の仕方は杓子定規にはならんやろ」

「成功したという自負の上に、数千万円で家を買って死ぬまでローンの心配すんのとホームレスが家の心配すんのと、もちろん差はあるよ。でも根源的に、本質的にそこに差あんのか? 金によって選択肢が増えるってのは、迷いが増えるってことでもあるし、何が幸せかって自問自答がないと人は狂うよ」

「そもそもこの社会のルール自体が間違えてるやろ。そのせいで割を食ってることに異議を唱える人らの気持ちはわかるけど、公正ではないことがルールになっているんやから、それなら比較ではなく、自分で納得いくことをするしかないやろ」

「努力したから成功して、しなかったから負けというような単純なもんではない。努力してもできない奴もいるし、努力してないけど結果出る奴もいる。そう思うと、企業で通用する程度の能力の差なんてホント大してないよ。だったらあんまり仕事のできない人のできなさを数えるより、できることをできるようにしたほうがええやろ」

「無駄に拘束されて、その時間を換算して高い年収を得るのとやりたいことして年収低いのとどっちが幸せかわからん」

「選択の結果、何かを得たとしても、それは何を失ったかという代価によっている」

「気取った奴やいきがってる奴は、ホンマに寒いってのが最近の基準やな。そんなのどうでもいいやん」

彼はいろんな調子で繰り返す、どうでもいいって。 無責任な「どうでもいい」ではなく、獲得したものを捨ててしまったって構わないというどうでもよさ。そういう眼差しを不惑を越えても持てる友人がいるというのは、本当に嬉しいことだ。

「お互い異性愛者やからなー。どっちかが異性やったらすごく理解しあえて付き合えたと思うわ。ララァとシャアのようにな」という別れ際の言葉にグッときた。