2010年12月27日 vol.1

自叙帖 100%コークス

年の瀬も迫った2010年12月27日、僕は自分のこれまでの働き方、暮らし方を見直すきっかけとなる人物に出会った。取材場所に指定された国立駅近くのロージナ茶房には約束の時間になってもインタビューイは現れず、場所がわからないのだろうかと思い電話をしたところ、ワンコールで出た相手は「尹さん?すぐ着きます」といい、数分後「やぁ」という感じで手を上げ現れた。

一見、サイズが合っていないように思えるのだけれど、そうではなく身体のまわりの空気を一周包み込んで一回り大きい感じの、不思議な黒いコートに身を包んだその人は、坂口恭平と言い、いまでは「新政府総理大臣」という肩書きのほうが有名だろう。いや、これも“元”新政府総理大臣と呼ぶべきなのかもしれないが。

彼について簡にして要を得た紹介をするならば、「たんなる天才」で花は花、鳥は鳥というくらいしっくり来る。

僕が彼と会ったときは、“建てない建築家”と呼ばれもしていたのだが、それよりも「ホームレス研究家」みたいな誤解もまだまだ多かった。というのは、彼にしてみれば都市で「建築という行為」を自立して行なっているのはホームレスのみで、だから彼らの営み(建築は行為である限り、当然日々の暮らし方は建築に含まれる)を調べ、それを『TOKYO 0円ハウス 0円生活』『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』といった本にまとめていたのだが、そういう活動の表面だけをとって受け取られていたからだ。

それにしてもホームレスのみが自立した「建築という行為」を行なっているとはどういう意味か?

総務省の調査によると、2008年10月1日時点での総住宅数5759万戸に対し、総世帯数は4999万世帯と約760万戸の空き家があり空き家率は13.1%だ。それから5年経っているわけだが、既には800万戸を超えていると推測されている。
加えて野村総合研究所の調査によれば、2003年時のペースで新築約120万戸をつくり続けた場合、2040年には空き家率が43%に達するという。

つまり既に家は余っている。
余っているにもかかわらず全国の都市部でタワーマンションがボコボコつくられている。

デベロッパーも不動産業界もこのままでは日本の住宅のうち半分近くが空き家になることはわかっている。
わかっちゃいるけどやめらないのは、つくらないとお金が回らない、ということになっているからだ。

だからつくる。そして家というのは「買うものだ」という刷り込みが僕らのほうにもあるから、そのためにはまともな会社で働く必要がある。そのためには勉強し、いい大学に入らないといけない。そのためには…と「やらなければいけない」ことはどんどん遡及され、0歳児教育が必要!みたいな話になってしまう。

人生設計というのは、突き詰めれば住宅の30年ローンを生真面目に払い続けることを前提に考えられており、それが幸福であるかどうかはともかく、「そういうものだ」とされるマジックが戦後の経済成長が続いているあいだは信じられていた。

そのマジックはよくわかる。1970年生まれである僕は、そういう教育のど真ん中で、小学校から開始された受験のための勉学は、つまるところ住居に代表される物質の獲得とそれを可能にする経済活動(社員にせよ経営者にせよ)を行うことにあった。
そこで一度も発されなかった問いは、「それをすることが幸せなのか?」だった。

子供心に漠然とした疑問はあった。裕福な家庭だったが、僕にとってはそれが不安の源であった。なぜなら、いまの経済水準をもたらす父のような能力が自分には見当たらないこと。そして、そもそもそういう能力を望む気持ちが自分にはないこと。
さらには歴史書を読むのが好きだった僕にすれば、栄耀栄華を望むこと自体が虚しかった。「ひとえに風の前の塵に同じ」が大前提だった。

だが、僕はまだ幼く未熟であり、漠然とした疑問を焦点化することをまったく知らなかった。そのための力の傾け方を開発することもしなかった。
だから家庭や学校が僕に説きにかかる価値観に対し、「不満」という何の推進力にもならず、空回りにしかならないエネルギーの発散でしか対応しなかった。

不満がようやく形をなし始めたのは30代に入ってからで、本当に遅い。遅すぎた。そのとき初めて僕は自立について何事か考えるようになったわけで、これが人間だけで構築された社会ではなく自然界であれば、疾うの昔に淘汰されて死んでいただろう。

自立について考えさせられたのは、バックミンスター・フラーとの出会いだった。20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチと称されることもあるフラーは、思想家であり発明家であり詩人であり建築家であり、その他の何かであり、何者でもなかった人物だ。

彼はこういうことを提唱していた。すでに人類全体が豊かに暮らせるだけの富とエネルギーと技術があるにもかかわらず、どうして我々は戦争し、貧しさに喘ぎ、労働に汲々としているのか。
僕らが受けてきた教育や労働を勧める価値観は、すでに準備されている豊かさからどんどん離れていくための分断でしかないのではないか?
そういうことに気づいた。