2010年12月27日 vol.2

自叙帖 100%コークス

僕らはどこかわからないところからやって来、この世に生まれたときは何も持っていなかった。
そして死が訪れ、彼岸へ渡るときも何も持つことはない。
名誉も富も名もこの身体さえも持つことなく去っていく。本来無一物。

その生命の大前提と身も蓋もない、つまりは人間の為すあらゆる手立ての外にある事実を無視して、僕らは持とうと持とうと努力をし続ける。
獲得したかったのはものではなく、ものを介在してそれが見せたきらめきであったはずだ。だから、芸術家といま僕らが呼ぶところの人たちは、つかの間のイリュージョンの現出に全身全霊を懸けた。

儚い夢であることをわかりつつ、「それでもなお」と咲かせた花は確かに花として目に映じ、人々の心を揺さぶる。でも、それはありえたかもしれない幻で、目を凝らして見ようとしたときは去っていく。それでいい。それしか人にはできない。

しかし、夢よもう一度と望む。これが人の本能なのか、それとも業なのかわからないが、ともかく僕らは持てないものを持とうとすることに執心してしまう。

できはしないことをできるようになったかのように錯誤し、できたことを評価する人を崇め、その人たちから認められることが生きる喜びになるという倒錯した考えのもとで、生活世界を築くことが人生だと思うようになる。

原点に立ち戻る。息をすることは、できるようになろうと努力した結果得られたわけではない。生命の大前提は何もせずとも、何も持たずとも生を始められることを示している。

前回で触れたバックミンスター・フラーは様々な概念を生んだ人だが、そのひとつに「宇宙船地球号」がある。彼は僕らがこの身にインストールされた、予め用意された能力と既に宇宙船地球号に用意された資源を使って、十全に生きることができると喝破した。
実際、彼は財産にせよ能力にせよ、所有のための労働や教育に向けた努力を捨て、つまりは概念をブロックのように積み上げて生きていくことから離れても充分に幸せに生きていることを、自身の人生をもって証明していた。

そんな人を知ってしまったら、どうして所有のための労働に汲々とすることを人生だと、狂った考えをもって生きることができるだろう。

僕は自分が狂っていたことを30歳のときに知った。宇宙船地球号のメンバーシップであることを長きに渡り忘れていた。
だが臆病だった僕は試行錯誤することを、「いかに生活をしのぐ」かの一点に、次元を下げたところで考えることしかしなかった。ロストジェネレーションのどまんなかの暮らしというのは、所有と労働の世界観の中で小突き回されることに他ならず、僕はそこで我が身を痛めつけていた。

フラーの言っていることを「そうであったらいいな」という理想として仰ぎ見、「そうはなれない自分」を確認していた。そうはなれない自分であるけれど、本来はそうではないはずだ。
「僕は本当だったらこんな有様ではないのだ」と言い訳をするための理想として、フラーの存在を利用していた。そのことも薄々わかっていた。
ただ、それでも自分の薄汚い欲望を離れて、理想ではない、単なる事実として、僕たちは「ただ生きる」ことができると感じていた。それはいわゆる人生経験を積んでいくことに消去されていくものだけど、消されることはない熾を僕は胸の奥底に感じていた。そのことだけは信じられた。

2010年12月27日、銀河系の太陽系の地球の日本の東京都の国立市のロージナ茶房の地下一階の席で16時から始まった坂口恭平さんとの出会いで、僕が衝撃を受けたのは、バックミンスター・フラーの言っていることを理想のモデルとしてではなく、「何も持たず生きることができる」ことを全身で証明している人が同時代の、この眼の前にいることだった。
コーラを飲みながら話す彼を前に、僕が感じたすべては「やっぱりそうだったか」の一言に尽きた。