博多の思い出6

僕には特技があって、それは街を歩いていると「ここは昔、蘆が生えるような湿地だった」とか「川が流れていたはずだ」と特に予備知識があるわけでもないのにわかるところだ。湿気が嫌いなせいなのか何なのか。どうしてわかってしまうのだ。こればかりは他人に説明しようがない。

東京で暮らしていた頃、つごう10年ばかり千駄木という街に住んだ。この辺りは谷根千(やねせん/谷中・根津・千駄木)と言われる寺町で、路地がまだ残るような町割りのため、ノスタルジックな雰囲気を求めて観光客も多く、以前ミシュランで紹介されたせいかフランス人も多い。


千駄木のような本郷台地と上野台地に挟まれたアップダウンの多い街は非常に好みで、坂の上は日当たりもよく、基本的に陽気な気配なのだが、道を一本隔てただけで、そこを通るのがなんだかためらってしまうようなところが多々あった。そのときは、まだ自分に湿気に反応するような特質があるとは知らなかったので不思議に思い、宅地化される前の明治あたりの地図を見てみたら、わりと湿地が目立つような土地だとわかり、ひとりでそうかと頷いた。

そうした自分の体質から街を見ると違った風景が現れてきておもしろい。どこそこにうまいパン屋があるとか、かわいい雑貨が売っているとか、観光名所があるだとかグーグルグラスみたいに街にかぶせられたポップやタグといった文字に還元されるような情報ではわからない、地形が伝える情報、というか土地の顔つき、震えみたいなものが見えてくる。

「どうしてこんなところに店を出したのだろう、どう考えても流れが悪いだろう」。とか駅や住宅街から離れていても繁盛する店だと「なるほど」と思うような、顔つきは土地はしていたりする。「流れ」と聞くと、なんのことだかと思うかもしれないけれど、雰囲気や気配と置き換えればいいだろうか。
その程度のことを察知するような感覚を人は持っているのだけど、やっぱりグーグル先生に尋ねるだけの毎日ではそういう力は日に日に衰えていくばかりだろう。

初めて福岡の天神に来た時、やっぱり湿気を感じたのだけど、鎌倉辺りまで海底だったと後に知って、自分の湿気センサーは中世くらいまでは計測できるらしいとわかってちょっとおもしろかった。究極言えば、地球は海の底だったので、僕の感覚が探れるのも中世あたりまでなのかもしれない。

この天神という街は、たとえるなら原宿と代官山と青山と渋谷をぎゅっと集めたような街で、歩いて回れる使い勝手のよさがなによりいい。そう思うと電車に乗って移動しなくては目的地にたどり着けないという配置は、ある意味で分断された状態なのかもしれない。

それに東京に行くたびに「駅ナカ」が増えていくのを見ると、分断された上にお金を落とすような整然とした人の流れとして自分があからさまにカウントされているのがわかるから、そういう変化がすごく気になる。
新宿のベルクがルミネから敵視されるのは、新宿の動線からすれば、あの店の引っ込んだところの位置取りが淀みや溜まりに見えてしまって、ルミネが演出したいプラチナ感とそぐわないからなんだろう。

スイカでピッとタッチするたび、デカい網の目をかけられた街のありようのコマを埋めるような存在として自分が扱われているんだろうなと感じる。東京で味わっていた自由さというのはなんだろう。博多に越してきてからそう思うようになった。等し並であることを受け入れた個人であることを失うことで得られる限定された自由度なのかもしれない。でも地方にはない自由なんだと思っていたら、案外そうではないことに九州に来てから感じるようになった。

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