5月11日の街頭で

5月11日、博多でレイシズム集団がヘイトスピーチを行うと聞いた。カウンターの一員となるべく天神まで出かけた。これまで東京でのカウンターに加わったことは2度。4年ぶり3度目の参加となる。

2013年の流行語大賞にもなった「ヘイトスピーチ」だ。人種・国籍・民族・性別・宗教・性的志向など、個人の属性について憎悪を煽る表現が流行となる事態を何と形容すればよいのかわからないが、ともあれ流行したのだろう。
その一方、どれだけの人が誰が誰に向けて、どのような言葉を具体的に浴びせかけているのかまで理解しているだろうかと思うと、そう多くはいないのではないか。そうでなければここまで聞くに堪えない言葉が野放しにされていなかったろう。


レイシスト団体は「朝鮮人は殺せ」「ゴキブリは叩きだせ」といった、ルワンダのツチ族虐殺において重要な役割を果たした千の丘ラジオのような極めて悪質なアジテーションを行ってきた。当初はこれはネット内だけだったが、いつしか街頭に吹きこぼれてきた。個人的には、彼らの言説が雪崩を打って街頭に溢れだしたように感じたのは2009年、カルデロン一家に対する悪質なデモあたりからだと感じている。

不法滞在により強制退去処分を受けたカルデロン一家に対し、「犯罪フィリピン人カルデロン一家を日本から叩き出せ!」といった文言を口々に叫び、カルデロンさんの子息の通う中学校や通学路まわりをデモと称し、練り歩いた。
あからさまに生命の危機を感じさせる威嚇行為が法的に問題ないのがまったく信じられないのだが、お咎め無しに気を良くしたかレイシストはついにヘイトにまみれた言葉を路上で恥ずかしげなく撒き散らし始めた。

僕が初めて彼らと直接対峙したのは2009年11月だ。朝鮮大学の学祭に彼らが押し掛けると聞き、駆けつけることにした。当日、三鷹署は指揮車2台に公安5人、警官を20余人張り付かせていたものの、蓋を開けたらレイシスト集団の参加は35人程度で対してカウンターとして集まった有志は53人。おそらく僕以外は全員日本人だった。この日は朝鮮大学と警察が事前に綿密に協議しており、大学とレイシストが直接的に接点を持たないよう対策を練っていたため、彼らの行動は空振りに終わった。

僕はどうしても身体が気になるので、しばらく彼らを観察していたが、腹からでも喉からでもなく、頭上のどこかわからないところから出てくるような、素っ頓狂の「心ここにあらず」としか思えない甲高い声や回旋運動の少ない腰と首の鈍さがすごく気になった。薄い言葉をつなぎ合わせることでしか息を継げない人の悲しみを見た気がした。むろん同情なんかしないが。

続いては2010年10月、秋葉原で「排害社」という名は体を表すを地で行くレイシスト集団をはじめとする団体のデモが行われると知り、ともかくこの様子を見ようという呼びかけが、Twitter上で野間易通さんによって行われた。野間さんは後の首都圏反原発連合の立ち上げに関わり、「レイシストをしばき隊」さらには対レイシスト行動集団C.R.A.C(Counter-Racist Action Collective)という今のカウンター活動のきっかけに関わった人だ。

彼らは街を練り歩き、口にするのも憚られるような言葉を使い、中国人を罵倒しまくった後、オノデンに向かい「中国人だけを歓迎してるのか。この売国奴」「祝日に日章旗を掲げているのか!」「おまえの店は不良品を売りつけているのか」「日本人の怒りがわかるのか」「尖閣は日本の領土か中国の領土か答えろ」と口々に罵声を浴びせる。

僕はカウンター賛同者のつくったビラを配るだけしかできず、何もできなさに屈辱を感じたけれど、野間さんはそんな個人的な感慨に留めることなく、あの日以来いろいろと考え、ヘイトスピーチを実力で阻止する対抗言論活動を編み出したのだなと思う。毀誉褒貶喧しい人ではあるけれど、秋葉原の現場で直接行動を起こしても逮捕されるのはこちらだし、そんなことを毎度繰り返すのはアホらしい。もっと有効な、それこそレイシストをしばく手立てを考えたという意味ではとてもクールな人だと思う。

レイシストをしばき隊もC.R.A.Cもレイシストを極めて公然と痛罵、悪罵、面罵する。それに対し、「どっちもどっちだ」「暴力では何も変わらない」といったようなことを言うとても良識的だが味方にも敵にもならない人たちがいる。「この期に及んで」と個人的には言いたいところだが、僕はそういう人には「寝言は布団の中でなんぼでも言えや」としか思わない。

たぶん彼らは物事には正しい答えがあると思っている。誰も傷つけない処方箋があるという理想をもっているんだろう。それはそれで悪くないけれど、それはあなたの夢想の中でやって欲しいと思う。
あなたの正しさ願望に付き合わされ、あなたの信奉する公正さによって、目前で起きているとても酷い状況が捨て置かれる。あなたが誠実に思索した分だけ正しさに行き当たるのだと信じ、そのツケを僕らが払わされてしまうのは、たいへん不合理かつ不公正だと思う。「どっちもどっちだ」とは公正さではなく、ジャッジに他ならない。あなたの立場が偏向しているかもしれないことを疑ってみて欲しい。

僕は言葉について考えることを仕事にしているけれど、僕と彼らを分けるのは「言葉が嘘であるかどうかを知っているか」の差だと思う。言葉を積み上げれば正しい認識に至れる。そう思えるのだとしたら、そういうふうに見たいからそう見えるだけのことで、言葉はどこまで行っても本当には行き当たらない。
僕がここで「花」と言ったところで花が咲くわけではない。だが平然とありもしない花について話をすることはできる。まったく本当ではない話がいくらでもできる。

言葉が世界を作り上げているのではなく、言葉以前の世界に僕らは生きている。
そして生きる上では、自らの存在を実力で確保せざるを得ない局面が必ずある。生きることはそれくらい問答無用さをもっており、誰に教えられるでもないはずなのは、それは本能に根ざしているからだが、その領域にまで良識的な人たちが正しさにかなうかどうかをあてはめたがるだとすれば、どれだけお行儀よく育ってきたんだろうと思う。

僕には理解しかねる思考法がさまざまにあることがこの間わかった。

レイシズムは問題だとわかっているのに、それを問題だという人たちの中でも様々な考えの違いがある。中には考えの違いだけを前面に押し立てて、自分の正しさを証そうとしているとしか思えない人もいる。人々が生きるこの社会の問題について考えるはずが、いつの間にか自身の葛藤をそこに食い込ませるものだから、すごく捻れた言説ができあがる。

たとえば、昨年大阪で「仲良くしようぜパレード」が開催された。これは一連のレイシズムの盛り上がりに対し、ハードなカウンターではなく、もっと緩やかに参加し、考えるきっかけをもとうと企画されたパレードだ。一見、何の問題もないのだが、この企画が持ち上がった段階で「仲良くしようぜとは差別の温存である。マイノリティに同化を求めるものだ」とか「仲良くしようぜ」の「ぜ」が男性中心主義の性差別主義であるという指弾が始まった。

人は誰しも自分の見たい現実しか見ることはできないのは確かだ。だとしても、自分が何を見ているのかには注意深くあることはできる。だからせめて自分の言っていることをまず自分で理解する必要があるのだが、その余裕を自分に与えないまま言葉を発する。それもまたひとつの正しくあらねばならない葛藤のなせる業かと思う。正しさによって自他を罰するほかやり方を知らないのだ。

この数年、そういう正しさを巡る争いから距離を取りたいと思っていた。正しい考えさえ身につけば物事は正される。そのためにあれやこれやと言説を積み上げる。彼らは社会を変革するのではなく、そのヒエラルキーを勝ち上がることによって社会的な承認を得たいのだ。だとしたら、何ら革新にいたらない個人的な葛藤を持ち込んだゲームから降りようと思った。

そこでこういうふうに決めた。

 社会がどうあれ個人的に生きていく。
どれほどヘイトスピーチが蔓延しようと個人的に受け取らない。
傷つくことを自分に許さない。
彼らが規定しにかかる現実とまったく異なる現実に生きていることを実存をもって証明する。

だから「この社会に属しながら、この社会に与しない」姿勢で生きていくと決めた。それは隠遁者でも傍観者でもなく、ジャッジせずただの目撃者であろうと決めたということだ。

では、なぜ4年ぶりに再びヘイトスピーチを専らとする団体のカウンターに参加したのかと言えば、「社会がどうあれ個人的に生きていくこと」と言っても社会とのつながりが消えるわけでもないし、意味がないわけでもない。

「個人的に生きる」とは、日々を意識的に生きることだが、そのとき社会との関係はデタッチとアタッチの微妙なところに位置する。社会とは他者である。究極的に自他は分けられないが自己は独立している。自己は独善的でしか生きられないが、それだけでも生きられない。
それゆえ、この社会が機能不全になるのを防ぐ役割を果たすのも、僕が個人的に生きるために必要なことでもある。社会もまたナマモノなのだから、そうやって手をかけないとまわっていかない。
溢れだした憎悪の言葉で社会の底が抜けてしまう前にやらなくてはいけないことがある。だから再び街頭に出た。

プラカードを掲げていたら、怪訝な面持ちをした信号待ちの女子中学生数人が何をやってんですか?」話しかけてきた。ヘイトスピーチについて説明したら、「そしたらあいつらが敵ってことですか?」と怒った口調で言う。

敵であるかどうかは立ち位置で変わるから善悪ではなく、この社会を見渡したときに成すべきことをしたいだけなのだと説明するには、信号が変わるまでの時間では足りなかった。彼女たちは半ば納得、半ば不満気な表情でこちらを何度か振り返りつつ立ち去った。

理解しがたさが残ったとしても、いずれそれが考える種になってくれたらいい。そう思って見送った。

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