ミャーク紀行 vol.2

宮古島の朝に吹く海風は実に爽やかで、気分がいい。起きると住宅街で見つけたダグズコーヒーで濃いめのコーヒーを飲みつつ、西荻窪の古書店で買ったエーリッヒ・ケストナーの『ケストナーの終戦日記』を読むのがしばらくの習慣となった。
ナチに執筆禁止、出版物の焚書措置を受けたケストナーがドイツ帝国の陥落にいたる日々を綴っている。清沢洌『暗黒日記』もそうだが、この手の日記は当然ながらつねに渋い不機嫌な顔つきなので、この宮古の空気にまるで合わない。

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教習所の寮にはテレビが置いてある。博多の家にはテレビがないので、空き時間に久しぶりに見た。
東京のキー局が流す番組では関西弁を話すタレント、「日本の良さを発見」といった番組を多く見かけた。言葉も風土もまるで違うここ宮古でそれらを見ると、僕が「日本」として認識しているものは、東京から関西までのあいだの出来事を日本っぽさとして確認しあっているにすぎない気がしてくる。

沖縄のメディアには「辺野古」「阻止」といった見出しが踊り、ふつうに「戦世(いくさゆ)」という表現が出てくる。沖縄では当たり前でも、本土から来た人間には、ここには均すことのできない記憶があるんだと感じさせられる。

と同時に気づいたのは、宮古の人の口から「ウチナー」あるいは「オキナワ」という語を耳にした記憶がないことだ。
「内地から来たのか?」という言い方はするものの、それはウチナーに対するヤマトではなく、ただヤマトからミャークへ来たのか?を表している、そんなニュアンスを感じる。沖縄よりも前に宮古があるといった構えがある。

本土から沖縄に移り住んだ複数の人の話によれば、本島の那覇を中心とした地域には北部、南部への軽侮の念があり、そして本島ぜんたいとしては、宮古をはじめとした離島に対する差別意識があるのだそうだ。

生活実感としてそういうものを感じるところがあるのだろう。中華の冊封を受けていたのだから、琉球が支配領域に華夷秩序を敷いてもおかしくないだろうと思うし、実際、薩摩の支配をうけた琉球は支配下の宮古や八重山に過酷な税負担を強いた。そのため琉球に反旗を翻した石垣島のオヤケアカハチは地元ではいまでも英雄だという。

教習所の待合室に備え付けられた沖縄ローカルのテレビ番組は、辺野古の問題をきちんと取り上げている。それを見ている宮古の人たちは特にリアクションしないことに気づいたとき、沖縄のヤマトに対するわだかまりとは別の、まだ乾ききっていない思いの溜まりをふと感じた。

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