イノセントと無知の取り引き

 渋谷駅で三宅洋平氏の「選挙フェス」に出くわした。その日は所用のため立ち止まって聞くことはなく、足早に立ち去った。何を言っていたのか知っておきたいと思い、その日の演説を含む幾つかを動画サイトで見た。

 私には選挙権はなく、政治に関わる立場にはないため、そもそも期待するもしないもないのだが、動画を見て最初に浮かんだのは政治のレイヤーで今生を捉えることに期待を持たないでおこう、という思いだった。

 この数年、彼の言動を耳にし、書いた文書も読んできた。事実を詰めて考えるよりも感覚に委ねることを得意としていることはわかる。きっとイノセントで情熱的な人物なのだろう。それゆえか陰謀論やスピリチュアルを迂闊に信じてしまう御仁のようだ。陰謀論を信じることには何の努力もいらない。すでに語られた幾つかの事柄を組み合わせるだけのことだからだ。

 スピリチュアルについて言えば、彼の信じるそれとは相容れないと思うが、私はスピリチュアリティを肯定している。というのはスピリチュアルとは叡智への道であり、語られない物事への観察であり、沈黙の行いだと思うからだ。

 この社会に属しながら、この社会に与さない姿勢を貫くこと。そうであるならば、スピリチュアルと政治は相容れない。

 包括的な視点を得ようとすれば、インサイダーではありえない。すでに用意された限られた枠組みの中でスピリチュアリティを発揮しようとする魂胆は、陰謀論を信じたがる心根と相性がいい。社会の事柄を社会に理解可能な言葉で語ろうとすることへの熱中において両者は互いに補い合うからだ。つまりアウトサイドに立ったこともなければ、その道を行くことへの興味も勇気もない。

 現状の政治は数がものをいう。そのインサイダーのゲームに同意したプレイヤーが競い合うわけだ。ではゲームに参加しながらルールを熟知していないものに一票を投じるとすれば? その結果は現状を補完することでしかないだろう。だから私はこの目の前に広がる政治めいた政治に期待すまいと思ったのだ。

 イノセントが無知であることの言い繕いになりはしない。無知とは限定的なものの見方しかできない人間の原罪であり、私たちにできることはそれに関心を注ぐことのみだ。そこから目を離した振る舞いを情熱的だと勘違いしてしまう怠惰さにできるだけ注意しておかなくては。

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