第1号 独立研究者 森田真生

Vol.1 真理とは生きられた時間が語るもの

尹 : いま森田さんは「たくらみゼミ」や「数学の演奏会」などを通じて、全国各地で数学のおもしろさを伝えています。ときに言語の成り立ちや仏像のたたずまいを通じて、数学の世界について語るなど、たいへん刺激のある内容です。
今回は改めて、森田さんと数学との出会いを尋ね、世界の鮮やかさと出会えるような内容になればと思っています。それにしても僕がワークショップでいつも感じるのは、森田さんの衒いなく真理を探求しようという真摯さです。


森田 : 高校生のときに思ったことがあって、それは真理というのは、哲学のような言葉だったり物理の数式のようなもので書けるといった考え方があるけれど、そうじゃなくて“真理は生きられるものだ”。

つまり真理は書き出されるものじゃなく、生きられるものだから、僕は真理を生きなきゃいけない。生きて行く時間の全体が自分にとって「これが真理なんじゃないか」というものになったらいいなと思った。それが高校生なりの僕の結論でした。

尹 : 生きられるものとしての真理という発想が出てきたきっかけって何ですか?

森田 : バスケですね。小さい頃から高校時代まで熱心にやっていたんですが、僕としては勝った負けたはどうでもよかった。
そういうのはあくまで結果だし、ある程度は書き残すことができますよね。
でも、バスケの試合における価値は流れにあって、これは切り出せない。
流れ全体が最高の試合に真や美を感じていたんです。
だから真理みたいなものは、哲学的にいろいろ考えて「これだ!」と一冊の本にまとめられるものではなくて、生きられている時間の中に出て来るものじゃないだろうか。
それは身体を通して感覚されるものだから、外側に書き留めるというよりは、自分と環境のやり取りの中で立ち上がってくるもの。そんなイメージを持っていました。


尹 : 心の中に感じたものを記述するのではなく、表現する。真理とは、身体によって表される何かであるとしたら、どういうアプローチを考えました?

森田 : 中学の頃に武術を研究されている甲野善紀先生に出会いました。僕はぜんぜん武術に関心がなくて、正直なところ技の原理にはそこまで興味はなかったのですが、ただ「ああいう存在の仕方、生き方もありなんだな」と思って、独自の思考と行為のあり方にすごく興味をもちました。

甲野先生は「運命は決まっているのか。それとも自由なのか」といったことを考えていたり、何か有無を言わせない問題が起きたときに「人生の税金を払う」みたいなことを言われていて、それは科学ではないけれど、いろんな矛盾を安易に解決させてしまわずに、矛盾をそのまま抱えて生きる姿にとても惹かれました。

そうした甲野先生の、いわば「全存在を懸けた」思考のスタイルに比べると、従来の科学や数学は、どうも頭でっかちなのではないかと高校生のときは感じていました。ならば、従来の学問のあり方とは違う、身体を動員した、より実践的な思考のスタイルを探ってみたいと思うようになったんです。

それで、いろいろ考えた結果、大学に入学したときに「会社をつくろう」と思いました。それが僕なりの身体へのアプローチでした。
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きっかけは行にあこがれて

森田 : 大学に入ったばかりの頃、大学構内を歩いていると、かなり有名な先生とすれ違ったりするわけです。たとえどんなにえらい先生でも、ちょっと小走りしただけで息をゼーゼーしているところなんかを見ちゃったりすると、「なんかちょっと違うんじゃないか」って疑問が湧いてきたりして(笑)

エレガントな身体動作とか咄嗟のからだの反応に、ある種の知性の輝きを感じることってありますよね? やっぱり世界を代表するような先生には、「アタマの教養だけでなく、カラダの教養も一流であって欲しい」という思いがあったんだと思います。

関係ないですが、プラトンが実は若い頃レスラーだったらしいですね。10代の頃、イストミアの格闘技大会で二度優勝してるんです。
ところが、オリンピアの祭典で負けが続いて、レスラーを諦めて劇作家になろうか詩人になろうかなんて迷ってたりしている。プラトンというとギリシア哲学の代表的人物という印象が強いですが、若い頃はレスラーでもあった。身体も使えたんです。

日本人である僕らからすると、身体的な知性と頭脳的な知性が切り離せないという感覚は、すごくあると思うんです。だって、空海がメタボで腰痛持ちとかだったら嫌じゃないですか(笑)。

とにかく「物事は身体と脳みそを総動員して理解していくものだろう」という確信が当時の僕にはありました。ただバスケだったらルールがあるしコートがあるけれど、それに比べたらもっとオープンな社会の中で身体を使って行為するとはどういうことなのかな。そういうことを考えていました。


尹 : 社会的な身体としての企業をつくって、それを動かしていくことが、森田さんにとっての身体を使った思考に近いものだった?
森田 : はい。だから起業家になって大成功したいわけじゃなく、僕なりの哲学のやり方。それは哲学科で勉強するということではなくて、社会の中を動き回る自分の身体をつくって、その身体で何ができるかという実験をしたかった。


尹 : シリコンバレーで片っ端から企業の経営者にアポイントをとって、そのうち「かわった日本人がいる」と噂になり、紹介されたのがサルガッソーの鈴木健さんだったそうですね。

森田 : 有名な社長や会社を一通りまわるべきだと思っていました。いろんな人に出会う中で感じたのは、シリコンバレーのスタートアップの背後には思想があるということ。ただ金儲けをしようということではなく、実現されるべき確固とした思想がある。そこに技術やお金がついてきて、企業の姿をとっていく。そうした中からグーグルのような巨大な企業が生まれてきたりする。

それに比べて日本は、思想や技術というよりも、比較的単純なビジネスモデル主導のベンチャーが多いという印象があったのですが、鈴木健さんはその例外で、かなり強力な思想とビジョンがありました。
「こういう社会をつくっていきたい」という、それこそ数百年規模のビジョンをもっていて、その中で「いまするべきことをやる」という考えでスタートアップを目論でいました。

博士課程まで物理を勉強した人だから充実が内側にあって、そういう人をそばで見ていたら、いきなり会社をつくるのではなくて、サルガッソーで働きつつ、自分自身ももっと勉強をしたいという気持ちになりました。
それまでは僕の中に「研究というのは頭でっかちなで、会社をつくって活動していくほうが身体化された、より実践的な行為だ」という二分法があったけれど、そうでもないなと思うようになっていきましたね。


尹 : 研究といえば、工学部でロボット工学を専攻していたんですよね。

森田 : 実は、当時の東大のシステムでは、文系から進学できる理系の学科はとても限られていました。その中でぎりぎり自分の興味に引っかかる学科を選択した感じです。それも、その学科自体には自分のやりたい研究をやれる研究室がなかったので、別の学科の先生の研究室に無理やり入れてもらうというかたちでした。ロボットを使って生命について考えるという、そのこと自体には大変興味があったのですが、ハンダづけしたりパソコンと向き合うのが大の苦手。
その上、サルガッソーでは、いきなりプログラムを任されて、毎日8時間以上パソコンの前にいて、最初の頃はずっと目眩に悩まされる始末でした。

それまでパソコンを使うのはメールくらい。とにかく機械が嫌いだったんです。工学部にいた最初の2年と数学科に移ってからの2年は、「自分がいちばん選びようもない、苦手なことに本気で取組んだら何が起きるのか?」という人体実験をやってるみたいな状態で、あまり身体にとってはよくない時期だったと思います。身体性と言ってたわりには、運動不足で目眩に悩まされてるんですからね。(笑)

でも、自分がそれまでやってきたことと正反対のことを本気でやり始めてみると、生活も考え方もガラっと変わるようでいて、それでもなお変わらない部分っていうのがやっぱりあって、結果として自分のやりたいことが少し見えてきましたね。これだけ自分を揺さぶっても、やっぱりぶれない部分があるというのは、個人的に大きな発見でした。

いつでも世界に躍り出るための準備が必要だった

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尹 : 興味深いのは、大学でバスケをやらなかったことです。やりたくて「気が狂いそうになった」けれど、敢えてその道を選ばなかったと聞いています。バスケをやったほうがもっとやりたいことに直結して見えたとは思わなかった?

森田 : 自分がいまするべきことではないし、そこでは重要な存在にはなれないと思ったんですよね。
バスケが好きだし、それだけやっていれば幸せだった。だから最愛の人と別れたみたいな感じでしたよ。毎日目眩はするし、朝起きてもやる気が出ない。

尹 : 素直にやればよかったのに…。

森田 : 高校の先輩たちがインターハイに出たときに、日本一なんてすごく遠いはずだったのに、ちょっとがんばれば実は手が届くとわかったんです。
けれども、手を伸ばせば届くと思っていなかったものだから、準備ができておらず初戦で敗退してしまった。
もし「自分たちも日本一になれるかもしれない」と本気で思って、それまで練習をしていたら、あのときもっといい試合ができたかもしれないって思うんです。

バスケでは、僕は到底マイケル・ジョーダンのような選手には敵わないわけですけど、研究か経営かわからないけれど、バスケ以外の分野なら、一生かけてがんばったら、アインシュタインとか、あるいはスティーブ・ジョブズのような世界一流のレベルまであと一歩、というとこまで意外といけちゃうかもしれないじゃないですか。

だけど、そのときまで本気で「行けるもの」と思って準備してなかったら、やっぱり行けなくなると思うんです。だから、自分も世界でいちばんの仕事がもしかしたらできるかもしれないって。そういう準備をちゃんとしておこう。そう思ったんです。

バスケをするんじゃなく、バスケを通じて考えている身体のことと学問をつなげていく。それもギリシアに端を発する西洋的な思想に乗っかるんじゃなく、甲野先生のやっていらっしゃるような「日本的な何か」に根差した新しい学問がつくれないだろうか。そう思いました。高校生にありがちな、誇大妄想です(笑)。妄想だけがあって、方法論はぜんぜんなかった。

とっさに口を吐いて出た「10年はやる覚悟です」

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尹 : なるほど。では、バスケに匹敵するような存在の数学とどうやって出会ったんです?

森田 : 工学部で卒論の準備をしているときと、サルガッソーの仕事がいちばん忙しい時期が重なって、これはもう心身ともに限界だしやばい。そこで健さんに「1ヵ月だけ休ませてください」とお願いしました。

それで数学の本を何冊か買ってきて、1ヵ月間は会社を休ませてもらったわけだから命がけで勉強しようと思った。前から数学に興味はあったからやってみたかったんです。

最初の1週間は起きている時間はすべて勉強していて、2週間目くらいからは夢の中でも計算していましたね。ヒゲもそらないしシャワーも浴びない。隣の食堂でご飯を食べる以外は外出もしない。
そうしたらすごく楽しくて。もう80歳くらいまでこのままいたいなぁ。二度と外に出なくてもいいやって(笑)。


尹 : すごい没頭の仕方!

森田 : それで休暇が明けてから「数学やろうと思います」と健さんに伝えました。会社にとっても一番大事な時期でしたから、打ち明けるには相当な勇気が必要でした。そしたら何も言われずに植物園に連れて行かれて。もともと植物園に行くような人ではないんですけどね。

1時間くらいチューリップを一緒に見て、本題に入らないまま、蕎麦屋に入って食べていたら、「いいと思うよ。数学を本気でやることで何か見えて来るかもしれないし。でも、まさか5、6年くらいやって無理だったら諦めようとか中途半端な気持ちじゃないだろうな?」と言われました。

まさに「5、6年くらいやってダメでもまだ20代だから大丈夫だろう」という気持ちでした(笑)。
だけど、そう言われて「そんなわけないじゃないですか。10年はやる覚悟です」と咄嗟に返していて、その瞬間、自分の中で本当に覚悟が決まってしまったんです。


尹 : 口からでまかせでなく?

森田 : ええ、言い訳でもなく(笑)。その場の緊張感と一緒にチューリップを巡った時間の相乗効果で、刹那にくだした選択が“ああ、そういうことなんだな”と自分で納得できた感じです。  つまり、口に出したその言葉の意味するところを自分ではっきりそのとき知ったわけです。(Vol.2へ続く)


2011年9月8日
撮影:渡辺孝徳

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