第2号 ラブピースクラブ 北原みのり

Vol.1 「アンアン」の変遷とつながりを失った時代の痛み

尹 : 著書の『アンアンのセックスできれいになれた?』の書評がいろんな媒体に掲載されています。反響が大きいようですが、読者からはどんな感想が寄せられています?

北原 : 30代前半の女性からのメールや手紙が多くて、それを読むと「私の言いたかったことが伝わっているな」と感じて、思わず泣いてしまったこともあります。

尹 : 北原さんも僕も「アンアン」の創刊された1970年生まれです。僕の視界に「アンアン」が入ってきたのは80年半ばくらいで、実際、手にとって見入ったのはやっぱり89年の「セックスで、きれいになる」特集くらいからです。たくさん感想を寄せた30代前半といったら、「アンアン」がテレビのニュースに取り上げられたような時代を知らない世代でしょうね。

北原 : 「アンアン」がキラキラしていた時代の雰囲気を知っていた私とは違って、おそらく彼女たちにとっては「ときどきSEXについて特集する雑誌」くらいの扱いで、特別際立ったところのないものとして映っていたと思いますよ。

それだけに、ふだん「アンアン」を手に取らない世代の人たちが私の本を読んでくれたことで、なんだか時間を飛び越えてつながれた感じがします。pre02_01_01_p01

自由を語ることはイタさの証?

北原 : 特にうれしかったのは、『アンアンのセックスできれいになれた?』の最後のほうに書いた「女たちがバラバラになっちゃっている現状」に共感してくれる人が多かったということです。

みんな、「本当はこんなのは嫌だ」「つながっていたい」と思っているんだなって改めて感じました。
「バラバラになっていると思ったけれど、でも女という軸でつながっているんだとわかってよかった」。そんなメッセージをいっぱいいただきました。

尹 : 翻って言えば、普段の暮らしの中でつながりを感じられるような価値を共有していないし、そういう体験がないってことですよね。

北原 : よくよく考えないと見えてこないし、わからないことかもしれない。私自身が普段思うのは、つながりよりもバカにされている感じです。

周りを見る限り40代の性行動は活発で、でも20代はなんだか窮屈になっているなと思っています。で、20、30代の人の前でセックスについて話すのですが、どうも彼女たちに私は「イタい」と映るようです。

イタいという言葉はわりと象徴的だと思いますね。年上の女性に対して「ああいうふうになりたいな」と憧れる視線がまったくないのを感じます。

尹 : 自分の身体やセックスについて語る。そういう自由さが下の世代にとっては、「何をいまさら」みたいなものとして映って、そこにつながりも共感もできないということでしょうか。

北原 : どうなんでしょうね。私は20代のとき、年をとることが怖かったし、身体やセックス、恋愛、人生について悩みをもっていました。
だから私の前をちゃんと歩いている人がいること。その人たちから教わることができた経験はとても大きい。道を切り開いてくれている自由な女がいたことにすごく安心感を覚えた。

でも、いまは若い世代にとって私たちは目の前を歩いているというより、立ちはだかるというか疎ましい存在になっているみたいで、そのことがけっこうショックです。セックスも人生もまったく違う価値観で生きていて、互いに認め合っていない。そんな断絶を感じます。

つながりある言葉はかすみ、分断だけが露になった

pre02_01_01_p02北原 : 最近、上野千鶴子さんの『女遊び』を20年ぶりに読み直してみたんです。文中に「おまんこという言葉が衝撃をもたなくなるまで言い続ける」というくだりがあります。

それを読んで胸が痛くなった。いま「おまんこ」という語は衝撃をもって受け止められないけれど、それは上野さんが考えていたような方向に世の中が進んだからじゃない。

普通に言えはします。でも、言ったところで何も変わらない。むしろ「空気を乱すようなことになるなら賢い生き方ではない」という理解のもとに、言葉の激しさが和らげられたんじゃないかと思います。
そう思うと言葉を通じて伝えたり、つながることはすごく難しいし、私のやってきた仕事の先が見えなくなる気持ちになりますね。

尹 : セックスに能動的で、自由な身体であろうということを「イタい」というのだとしたら、それは「何をいまさら」という揶揄と「そんなことを言うのは賢い生き方ではない」という醒めた視線の両方があるのかもしれません。

でも、「何をいまさら」と言えるほど民度が上がったんでしょうか。DV問題がまともに取り上げられようになったのだって最近だし、女性専用車両ができたら「男性差別だ」と文脈も理解せず、奥行きのないことを臆面もなく言うことが公正さだと思っている。そんな人がいるような現状ですよ。

北原 : 「何をいまさら」が醒めた気持ちから来ているのかわからないけれど、私が感じるのは、不条理さに怒りを露わにしたり、世にモノ申すとか、そういうことを叩き潰そうというプレッシャーがあちこちにあることです。
ひょっとしたら「何をいまさら」というのは、そういう雰囲気を感じているから、「自由にやったところでリスクのほうが高いんだから、抑圧されていても安定したい」って思っているところがあるのかも。

尹 : リスクとは具体的になんですか?

北原 : わかんないです。ただ、自由であることは、「何かと引き替えて得るもの」と考えている人が多いことを感じます。

私にとって自由とは、「何かを引き替えて得る」ような条件つきものではないと信じていたので、自由を得るための責任とか、自由を得るためのリスクとか言う人が当たり前にいるのに驚いている状況です。リスクって何でしょう? 逆に聞きたいです。

「愛あるセックス」という保守化

尹 : かつて「アンアン」はウーマンリブの側面をもち、男に媚びず、また「女から誘う」ことを当たり前とし、積極性を肯定していた。そんな「アンアン」が近年は、セックス特集において「男に愛される体になりたい」という受身を当然としていて、さらには「射精後のペニスをお口でキレイにしてあげましょう」という奉仕や「それでもあなたは男らしい」と誉めるよう奨励するまでになった。こういうのを保守化と呼ぶ以外に表現する言葉が見当たりません。

pre02_01_01_p03北原 : 間違いなくそうでしょう。

尹 : 「愛あるセックスこそがすばらしい」とか「愛される」ことの価値を訴える。でも、その愛の内実はテクニックで、その向上で相手を虜にしようとする。相手を取り逃すまいというような不安に満ちた心性はどこから来るんでしょう?

北原 : 2007年に発売された「恋に効くSEX」特集にはDVDがついていて、セックスについての内容のはずなのに、男の人のプライドの話ばかりなんです。
彼のプライドを傷つけないようにいかに女がリードするか。自分の快楽よりもプライドや愛あるセックスが大事になっている。そのことにとても違和感を覚えました。

こんなふうになっちゃったのはいつからなんだろう?『アンアンのセックスできれいになれた?』を書こうと思ったのは、その疑問を抱いたことに始まったんです。

1989年の初めての「セックスで、きれいになる」特集から「私はどういう影響を受けたんだろう」と考えつつ、読んでいたら1997年あたりから急に「アンアン」が変わってきたことが見えてきて、じゃあその前はどうだったのかな?と創刊から読み始めたら、まったく違う世界がそこにありました。

尹 : 当時は澁澤龍彦や三島由紀夫が寄稿したり、とにかく最先端のクリエイターが集まってつくりこんだ雑誌なんですよね。

北原 : そう。だから1970年代のほうが読んでいて楽しいわけですよ。日本で初めてじゃないかと思うヴィトンの鞄の広告が載っていて、革ではなくビニール製なんだけど、軽いから女がひとりで旅行へ出かけるにはちょうどいい。「これを持ってヨーロッパに行こう」という内容が書いてあって、2011年に1970年の広告を見た私は、思わず生まれて初めてヴィトンを買ってしまいましたよ。

それくらい女の生き方を自由にしようという熱気というか、「私たちの前には、お母さんたちの世代が味わってきたものとはまったく違う道が開かれているんだ」といった、「私たちの人生はキラキラしているはずだ」という信念に誌面が貫かれていた。読んでいてうれしくなってしまう。

尹 : だからといって、70年代が女性にとって生きやすかったというとおそらくそうではないはず。

北原 : ぜんぜんそうじゃないでしょう。(Vol.2へ続く)


2011年12月15日
撮影:渡辺孝徳

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