Vol.1 「サウダーヂ」を通じて見えてきたこの国のかたち

第3号 映画監督 富田克也

Vol.1 「サウダーヂ」を通じて見えてきたこの国のかたち

尹 : 遅れ馳せながらロカルノ国際映画祭批評家賞とナント三大陸映画祭グランプリの受賞、おめでとうございます。毎日映画コンクールでも優秀作品賞&監督賞をダブル受賞をされるなど、国内外での評価は高まっているようですね。ヨーロッパではどういう反応がありましたか?

富田 : スイスのロカルノでもフランスのナントでも「経済格差が日本でもあるんだね」「日本にブラジル人があんなにいるとは知らなかったよ」といった声をまず聞きました。
ロカルノで驚いたのは、移民の中でもブラジル人とタイ人が占める比率が多いということで、そういう意味では、彼らも同じ問題を抱えているんだなと感じました。
それと僕を含むスタッフ一同は、映画以外の仕事をやりながら映画を撮っているわけですが、それを言ったときの驚きの声が印象的でしたね。

特に、映画に対する意識の高いヨーロッパでは、映画を作るのに、例えば自分の給与を投入するなど、想像もできないんだと思います。
だから、「ありえない!」という驚きをもちつつも、「だからこそ、こういう正直な映画がつくられ、私達は日本の置かれたリアルな状況を知る事ができたんだ」と、日本の映画界の状況と共に理解してくれたんだという印象があります。

尹 : 日本から発信される映画は東京だったり、あるいはそれとは対照的な自然が舞台だったりしますよね。
「サウダーヂ」では、冴えない地方都市の残念な感じが画面に溢れていて、直視するのはイタい。でも、そういう中途半端さを大半の住人が送っている。外国では、そこまであからさまな現実を見る機会もあまりないでしょう。

富田 : だから、よけいにリアルな風景として映ったんだと思います。そういう意味でも日本に対する認識を改めるきっかけになった。そういった反応がありました。
あとは、「あの編集は一体どうやったんだ?全てのカットの変わり目に驚きがある! アメージングだ!」とか、フランスの映画学校の編集の先生に言われたんですけど、映画に対する鑑賞眼の高い国の、しかも先生に言われるなんて嬉しいですよね。自分でも考え抜いたところだという意識があるだけに、伝わったんだ!と。そういう報われ方が、きちんと両方あるというか。pre03_01_01_p01

ときに飛躍することでつながるイメージの連続性

尹 : 素人ながら想像するに、ストーリーを展開するには、たんに映像の生理的に心地よいポイントをつなげていくだけでは足りなくて、カットとカットのあいだに流れる飛躍をつながりとして匂わせる行間が必要となるんじゃないかと思いますが、富田さんの編集観とはどんなものです?

富田 : 一本の映画を完成させるまでには、むろん撮影現場は重要ですが、編集は撮影後に始まる、また別の新たな創作だと思っています。同じ素材でも編集によって映画はまったく別のものになる。故に編集の持つ意味は本当に大きい。
例えば、カットをつなぐことによって単純に違う場面に転換するだけではなく、変えた瞬間に余韻として何を残し、そしてその余韻をどこにつなげるのか、などなど。
映画の特性上、時間は一方向に流れていきますが、編集次第では「あ、そうか、さっきのカットはここにつながるし、あそこに戻って考えればここはそういう意味も持つのか」というようにできます。人の頭の中は縦横無尽に時間を行き来できるからです。
だから、異なった時間と空間の中でのイメージのつながりが可能なわけです。となると、編集というのはやはり、撮影現場と五分五分の重要性を秘めていると思います。

尹 : 飛躍しているけれどもちゃんとつながっている。編集する際に、その関係性に確信をもてないときもありますか?

富田 : 勿論あります。間違いなく「ここはこれしかない」というのがある反面、確信があるだけに、それと相対的に「ここはどうなんだろう」という迷いも生じます。
たとえば「サウダーヂ」の劇中、主役の精司(鷹野毅)とミャオ(AI)がうれしそうに腕を組んで歩くカットがありますが、その後に精司の妻の恵子(工藤千枝)がひとりで野菜炒めをつくっている場面があります。
そういう流れだと単純に対比となって強調されるわけですが、そうじゃないところでフッと飛躍をさせようとするときには迷いも生じます。
それは当り前なんですが、やはり全体を見渡さなければ答えは出ない。その全体の見通しというのが作品の方向性になるわけですが、しかし全体はひとつひとつの繋がりの総体な訳で…と、この堂々巡りを繰り返していく。
というわけなので、時には、編集がかなり進んだ状況で、ある答えを見つけたとき、すごく大幅な入れ替えをしないといけないということも出てきます。

尹 : これまでの作品でそういう苦労はあったんですか?

富田 : 「国道20号線」でそれを学びました。最初はシナリオ通りのイメージでつないでいって、いざ全体を見渡したとき「ダメだ、こりゃ」と思ったので、ごっそりシーンを入れ替えてやり直しましたよ。シナリオの詰めが甘いんだよって言われちゃえばそれまでなんですけど(笑)。

でも、「国道20号線」も「サウダーヂ」も、ひとつの結末に向けたストーリーの進行に添って引っ張っていく見せ方ではなく、エピソードの積み重ねで進行していく作りなので、比較的それがやりやすいわけです。
そして、おそらくそういう可能性を編集に残しておく作り方が好きなんだとも思いました、「サウダーヂ」で。

富田監督の日常の光景とは?

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尹 : グランプリを受賞してから映画制作のオファーが山のように舞い込むようになった、なんてことは?

富田 : ないですね(笑)。受賞とは関係なく、吉本興業が主催している沖縄国際映画祭に出品する企画の依頼はありました。地域発信プロジェクトという、タイ、マレーシア、フィリピンを舞台に、若手に撮らせるというオムニバス企画です。
俺たちは以前から「次はタイを舞台に撮りたい」と周囲に言いふらしていたから、もともとこの企画を振られた真利子哲也監督が、俺達を巻き込んでくれたというわけです。
それにしても年末に依頼が来て3月に上映しようというんだから、その進行に驚きました。まあ、いつかタイで撮影する上でのテストケースになったからいいんですが。

尹 : 富田さんの取り組みや映画に対する理解があっての依頼というより、テレビ制作の発想でやっている感じですね。
ところで、富田さんの手がける映画は、ノンフィクションっぽいつくりだけど、あくまでフィクショナルな枠組みで現実を描き出そうとしますよね。
スタッフ一同が映画以外の仕事をもちながら制作に関わるということは、映画で描かれる世界の手触りと富田さん自身の日常のリアリティは重なるところがあると思うんです。そういう意味で、ご自身がいまどういうふうに働き、暮らしているのか興味があります。

富田 : 「サウダーヂ」の宣伝に入るまでトラックの運転手をやってたんですが、公開の規模やあらゆることが、「国道20号線」の時とは桁違いになってきそうな、いやそうならなければいけないという思いから「仕事を抱えながらの宣伝活動はきついな」と思っていたところに、震災と原発事故が起きました。

あれだけの事故が起こりながら、その直後、自分の会社を守ることしか考えていない社長が、「死んだ人間は仕方がない。生きている自分達の方が大事なんだ。放射能に関してはカッパを支給するから毎日洗濯してくれ」くらいの事をいいやがったので、散々罵倒して辞めてやりました。

あらゆる組織にはびこる保身の原理

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富田 : その態度はすごく象徴的でしたね。世の中は上から下まで保身の原理で動いているんだなとよくわかりましたよ。震災があって、東京の俺の家の中もぐちゃぐちゃ、高速道路は通行止め。当然仕事にはいかなかったわけです。

そしたら次の日、あっさりと「なんで荷物が届いてないの?」という電話があって。思わず「社長の所は地震がなかったんですか?」と言っちゃいましたよ。その後、ニュース等で事態の深刻さがわかり始め、原発の事故が起こり、この先どうなるかなんて誰にもわからない状況で、ガソリンは行列に並んで入れなければならないし量の制限もある、そもそも被災地にはガソリンはおろか、支援物資も届かないといった状況にも関わらず、いつも通りの仕事や生活を躍起になって継続しようとしていた。

人の命より金が大事なんだね、と思いましたよ。運送会社なんだから、通常業務を止めても、被災地に支援物資を届けてくれと言われるなら、こっちだって義侠心に駆られて行きますよ。それでカッパ支給するからってんならまだわかるんですけど、そうじゃないわけで。

俺が働いていたような、社長の裁量でなんとでもなる小さい運送会社ですらそうなんだから、膨大な従業員を抱えた東電なんか維持することしか考えないに決まっている。そりゃ嘘でもなんでも吐くだろう。本当にそのことが骨身に沁みましたね。(Vol.2へ続く)


2012年5月22日
撮影:渡辺孝徳