Vol.3 大人の果たすべき義務と愛おしい世界

第4号 絵本作家 松本春野

Vol.3 大人の果たすべき義務と愛おしい世界

松本 : 『ふくしまからきた子』については、当初、私はタイトルも悩んで「ふくしま」の文言を入れることをためらいました。
でも、この絵本をつくった時点で傷つく人はいるし、それでも語り継がなくてはいけない。そう思ってつくったのなら、著者としての責任をまっとうして欲しい。そう編集者に言われ、「そうか生半可で逃げるような気持ちで取り上げていい問題じゃない」と改めて思ったんです。

尹 : 福島から来た子供を差別することが目的ではないし、いつか特別な意味を持たない、なんでもないタイトルとして読まれる時代が来て欲しいから、描かれたわけですよね?

松本 : そうですね。でも、確かに今は読んでムっとする人はいるだろうし、実際、福島の子供たちが差別されたらどうするんだ!という意見ももらいました。
また、絵本では、広島の被曝2世のことも書いているので、「福島も同じだと思って、結婚できなくなったり子供が産めなくなったとしたら、責任を取る考えはあるのか」という批判もありました。
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今できることは、ありのままを語り継ぐこと

松本 : この先に何が起きるのか誰もわからないですよね。放射性物質の影響については調べれば調べるほどわからなくなります。何がどれくらい危険なのか本当にわからない。
私の友達でも原発事故後、沖縄まで避難した人もいます。ある人は「沖縄のひじきも食べられない」と言うし、それは行き過ぎだという意見もあります。
私自身は事態はそこまで深刻かどうか正直わかりません。福島産だからすべて危険だというわけでもなく、安全なものは安全だろうと思っています。
でも、「なんでそう思うの?」と問われたとき、突き詰めると「自分の信頼するあの人が大丈夫だと言ったから」が根拠になりますよね。

尹 : 国であれ、専門家であれ、究極は「あの人がこの数値なら大丈夫と言ったから」という表現になります。

松本 : 引用になるわけですよね、だから安全なんだと。本当のところ、その根拠が正しいかどうかは誰にも判断できない。判断できないのに、何が起きるかわからない状況がすでに起きてしまった。その紛れもない事実があることがいちばん恐ろしい。

後で健康に影響が出てもそれが原発事故のせいかわからない。調べようがない。そういう恐怖や不安を植えつけてしまうことが何よりも罪なことですよ。人の人生をめちゃくちゃにする権利なんて誰にもないのだから、それだけでも原発ってダメだよねっていう理由になります。

何が本当かわからないし、嘘もいっぱいあるのも事実。そういうのをひとつひとつ取り上げて是非を問うてもきりがない。でも不安なのは確かで、その思いをTwitterやFacebookでもいいから伝えて欲しい。とうてい納得しがたい事実があると知ったらこの現状を語り継いでいく。それがいまの時点で必要なことだと思います。
広島・長崎の原爆も一所懸命に語り継いだ人がいて、いまがある。「お願いだからそっとしておいて」と思った人もたくさんいたと思います。
でも、語り続けた人がいるから広島・長崎がきちんと認識されて、教育現場でも教わるようになって非核三原則もできたわけです。
語り継がないことは、過去をなかったことにすること。だから、起きたことを記していくのは大事だし、できる人がそれをやらないといけないと思っています。

外部にいるものがいったい何を書けると言うのだ、と批判されても、それは黙って受けます。主張があるというのは、相容れない人からすれば煙たいことですから。でも、それでも主張しなくてはいけないこともあります。
危険な目にあっても戦争反対を叫んだ人もかつているわけですから、気づいてしまったら伝えないわけにはいかない。特に子供の絵本をつくるならば、嘘をついてはいけないなと思うんです。向こうは裸で向き合っているのに、こちらが保身のためでは子供に失礼ですからね。

思いやり予算よりも大事な思いやり

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松本 :
大人は昔、必ず子供でしたよね。子供は自分の人生を選べない。あるときは大人以上に、日々すごいエネルギーを発しているのに社会的には受け身です。だから、うまく自分を防御することも知らない時期に傷ついたことは後々にまで残ります。

考えてみれば、どんな極悪人だって昔はみんな赤ちゃんだった。生きていく過程でいろいろあって傷ついたりしてそうなったんじゃないか。そう思うと、犯罪を減らすには、幸せに人を育てるしかないなかなって思うんですよ。

本当に子供を大切に思う社会で、「子供は愛されるべき」という認識があれば、「思いやり予算」よりもずっと予算が割かれるはず。子育ての現場がたいへんでも「みんなで子供を大切に育てないといけない」と周りが認識し、理解すれば、その意識が世の中を動かしていく。その基本的な考えを大人が持っておくことが大切だと思うんです。

そういうことを論理的に言おうとしても、私の場合、語彙がないのがバレるし、突っ込みどころが満載なので、感情を動かすところでやっていきたい(笑)

尹 : 思いやりで言うと、ベビーカーを電車に乗り入れさせるなとか飛行機の中で赤ん坊が泣いて航空会社に苦情というか難癖をつけるとか、それって大人の態度とは到底言えないですよね。

そう言えば、アマゾンの奥地に住む少数民族であるピダハンの社会では、3歳で成人するんだそうです。成人といっても、3歳になった途端、何でもできるようになるわけじゃない。
たぶん子供たちは3歳までに全面的に肯定されて、自己実現を果たすから、それ以降は共同体の役割を担うようになるんだと思います。つまり、成人とは自分ひとりのためでなく、誰かのために行動することができるようになる状態を指す。

どうも現代社会のように、大人になってから自己実現を果たそうとするような、こじらせ方がピダハンの社会にはないみたいです。他人を排除することも自己実現のひとつと数え上げられるような幼い思考回路もピダハンにはなさそうです。

愛の証を錯覚していないか?

松本 : なるほど。確かに子供の頃にたくさん愛されて肯定されていたら早く大人になるかも。
でも日本の愛し方はちょっと違うんですよね。本来子育ては、子供を大人にするのが子育てで、子供を子供として保有し、守ることじゃないと思うんです。
子供を育てるとは大人にしていくことで、だから何かやってあげるのではないはず。自分でひとつひとつのことをできるような環境を整える。それが大人の役目かなと思っています。
けれども、「お弁当をつくってくれるのが親の愛の証」みたいに感じさせてしまう風潮がなんかありますよね。

つくってあげた、つくって貰ったことで愛情を感じるのが錯覚で、思いやりなんて物理的に朝ご飯つくって育つものじゃなくて、個人を尊重することだと思うんですよ。
「お母さんはご飯をつくってくれないから自分を愛してくれない」なんて、そもそも論点がずれている。それは気持ちを表す方法のひとつではもちろんあるけれど、愛情というものをそんなものにしちゃったらいけない。愛情を手抜きしてはいけないけれど、家事は手抜きしていいでしょう? 世の中のお父さんもお母さんも、親であると同時に別の立場をいろいろもっていて忙しいんですから。

尹 : そりゃそうです。

松本 : お母さんにはお母さんの人生を歩ませる。子供がそういうふうに思えるように育てていくことが大切なんじゃないかな。私は、そう理解することが遅かっただけに余計に思いますね。親には親の人生がある。それが自分の幸せでもあると思えたとき、大人になったと少し思えました。

尹 : 僕が17歳のとき、実母が死んだのですが、いちばんショックだったのは、彼女の人生をまるで知らないことでした。母という横顔以外の彼女のことを知らなかった。身近にいながら何も知らなかった。

松本 : うちの親はふたりとも自己主張激しくて、自分の人生を声を大にしていうタイプだったので、今から思うと、それはよかったなと思います。途中、父親に対してはいろいろあったけれど、結果的に思うのは、自分の人生を生きて幸せそうだということで、だから自分も幸せになりたいなと思った。

社会について考えることは、大人の義務です

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尹 : まず自分が満たされていないことには幸せにはなれないですが、ただ自分が満たされていることのみを追求しても満足は得られない。他人の存在について思いを馳せることが満足とは何かを自分に考えさせるきっかけにもなるんだと思います。

松本 : たとえば官邸前のデモで若い人たちが参加していることが新聞で取り上げられたりしましたが、実際に現場に行った私の感覚から言えば、若い人がいたのは確かですが、やはりほとんどはわりと年配の人で、だからこそ若い人たちが目立ったんじゃないかなと思います。そう思うと、私たちの世代は、責任感がないのかもしれません。自分の時間を割いてまで社会について考えようとはなかなかしない。

忙しすぎるのもあります。でも、子供やお年寄り、自分で発言や行動するのが困難な人たちの代わりに社会についてしっかり考えることは、強い言葉ですが、大人の義務だと思っています。だから、そう思ってもらえるように、この社会に生きる愛おしい人々の生活を描こうとしています。

可愛いだけで塗りつぶされない愛おしい存在

松本 : みんなが同じような意識を持てるわけじゃないから、余裕がある人から社会を良くする取り組みをすればいい。そういう流れが広がる中で、子供が大人になったらいいな。
私は子供が子供のままでいることを望みません。前に編集者の人が言っていました。「子供を可愛いという言葉で塗りつぶさないで欲しい」。「子供は大人への発達の過程の一段階の姿。だから子供は愛おしいことはあっても単純な愛玩物として認識してはいけないのです」。そう、子供だって、いろんな思いを抱えているんですよ。

尹 : 可愛いで終わらせたら、子供の存在をつぶさに見られていないってことですからね。

松本 :
ですよね。最近、人間そのものが愛おしい存在だなって思うんですよ。スポーツクラブに通い始めたんですが、そこはおばあさんが多くて、20代は全体の4%しかいない。
彼女たちは「痩せたい」とかじゃなく、「このままだと命に関わる」とか医者から勧められて来ているんです。彼女たちと運動するのは新鮮な経験です。マシンに乗るだけで30秒かかる。

一緒に運動して初めて彼女たちの体力のなさに気づいた。だから動作が遅いからといって苛立ったりするんじゃなく、手伝ってあげればいい。そういう当たり前ことを改めて知ると、自分の肉体を健康に保つことだけに集中しているジムよりもずっといいなと思うようになったんです。

いずれ自分も彼女たちのように老いていくことがわかるし、自分の体を鍛える空間は、他人への思いやりがないまま、自分とだけ向き合えてしまえるんだとわかったんです。

私ひとりのための体でなく、人との生活があるから体が大事なんだ。そう思うと、いろんなことを忘れたり、できなくなったりしていくその姿もなんか愛おしいなと思えるようになったんですよね。(了)


2013年4月25日
撮影:渡辺孝徳