プリセッション・ジャーナル 第5号 作家 赤坂真理

Vol.1 二本足で立つとは、なんと不可思議な体験だろう

赤坂 : 私は武術マニアで月刊「秘伝」を読んだり、野口体操(注1)や西野流呼吸法(注2)、システマ(注3)、合気道それから意拳(注4)だとか、いろいろかじってきました。そういうことに関心を持つようになったきっかけは?と尋ねられてもうまく言えません。
だいたい「元をたたせば」なんて答えられないものですよね。とにかくそういう流れの中で尹さんの書かれた『FLOW』とめぐりあって感銘を受けました。

尹 : 『FLOW』を読まれているとは相当なマニアですね。『体の知性を取り戻す』の担当編集者の川治豊成さんは赤坂さんにあの本を勧められて読んだそうです。それがきっかけで『体の知性を取り戻す』の刊行につながったわけですから、不思議なめぐり合わせです。

赤坂 : あ、そうなんですか? ところで尹さんはいろいろ格闘技や武術をされていますが、武術を始めたのは、強くなりたかったからですか?
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きっかけは行にあこがれて

尹 : はい。でも、ケンカに強くなりたいのではなく、自分が設定している限界みたいなものを超えたかった。しかも苦痛に耐えるといった我慢するやり方ではなく、スッと経過させていくような強さが欲しかった。
我慢では、結局のところこれまで築いた自分そのものは変わらない。既成の自己も含めて改めていくには、武術がいちばんいいだろうという思いがあったんです。宗教でもよかったのですが、「体がないとダメだ」という直感があって、だからわりと幼い頃から行みたいなものに関心をもっていました。

赤坂 : 私もそうです。行が好き。

尹 : とは言うものの、子供だったので参考文献は『ムー』に書かれていたヨガの呼吸法だとかそんなレベルでした。それらはすっかり忘れてしまい、唯一覚えていると言えば、「チャクラを開くためのレシピ」といった特集です。レピシのひとつにバターライスがあり、つくってみたもののやっぱりごく普通のバターライスでして、チャクラ覚醒とはなりませんでした。
ともあれ、その頃の僕は「ある境地」に入っていく感じが好きだった。赤坂さんも武術やボディワークを経験されていますね。意拳を学んでいたとは知りませんでした。

赤坂 : チャクラ覚醒ライス!(笑)意拳は憧れがあって少しのぞいたくらい。套路(注5)を廃するとは革命的な武術ですよね。どうして意拳に憧れたかというと、程聖龍さん(注6)の『仙人入門』を読んで站樁がすごいと思って。その本には「忍者修行をしたにもかかわらず、站樁(注7)をしたら満足に立っていれらなかった」と書いてあったんです。

尹 : 何だかひっかかるところの多いエピソードなので、いろいろお尋ねします。そもそも程さんは忍者になろうとしていたんですか?

赤坂 : はい。少年時代に甲賀流忍術の先生に弟子入りしたそうです。ちなみに兄弟子は師匠の飼っていた「忍者犬」です。

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尹 : 犬が兄弟子…。

赤坂 : 程少年は忍術の先生に弟子入りをお願いしたものの、「まだ幼いから」ということを口実に断られた。程少年はそれでも諦めきれず、先生の飼い犬の犬小屋に潜り込んで一夜を過ごすことにしたそうです。
その犬は「忍者犬」ですから、普段はまったく誰も寄せ付けない。ところが程少年を受け入れた。それには師匠も驚き、弟子にとってくれたというわけです。

尹 : なるほど。序列からいって犬が兄弟子になるのですね。そこで本題に戻れば、忍者修行をしていた程さんの話でどうして意拳に興味を?

本当に立てているのかわからなくなってきました

赤坂 : その本を読んでいたことからです(笑)。忍者犬の小屋に敷いてある新聞紙の小さな広告「中国武道」に惹かれて、忍術修行の後に程さんは中国拳法を学び始めたのです。
そこからタイトルでもある「仙人」の山へと導かれるのですが、極寒の高山で備えもなく独りでいなければいけない行がありました。そのとき站樁だけが非常に役だったそうです。強烈に寒い中で激しく体を動かすと肺を痛めますよね。それに汗をかいても急激に乾くから、かえって体温を下げてしまう。站樁はただ立っているだけでも体が温まったそうです。

さらに站樁とは「すべての可能性だ」とも記しています。たとえば100メートル走みたいに前のめりだと前に出るしかない。もう少し姿勢に余裕を持てば左右にも動ける。站樁は360度どこにでも動ける可能性を秘めて立っている。そういう内容を書かれていたのを読んで「意拳をやってみたい」と思ったのです。それで実際に站樁をやってみたら、自分がいったい本当に立てているかわからなくなりました。

尹 : そうですよね。何気なくみんな立っていますが、立ててしまっているだけでちゃんと立っているわけではないんですよね。
最近、ようやくほんの少しだけわかってきたのは、二本足で立つのはこんなに難しいのかということです。

赤坂 : そう思います。

尹 : だからといって四足歩行に戻れないし、やってみてもぎこちない。どちらつかずの立場にいるのが人間です。かつて前足だった手は、地面から離れてずいぶん経つものの、定まった置きどころはいまなおわからないまま。

赤坂 : マナーとして手の置き方などを習うことはあっても、確かに持て余しています。江戸時代は身分によって手の位置が違ったそうです。武士と商人は何となく想像はついても、一般庶民の町人はどうだったのでしょう。

尹 : 生業を考えたらこういうことが言えそうです。店を構えた商人と違って、町人は煙管の修理や掃除をする羅宇屋とか下駄の挿げ替えとか、細々とした仕事をしていました。いまのように自動化も機械化もされていないから、人手を介さなくてはいけない仕事はいっぱいあったわけです。

だから庶民は道具とともに生きていたと思うんです。ものを担いでいたり、つくったりして常に手が動いていたから、定めどころは道具とともに決まったのではないでしょうか。
少なくともオフィスワークのように椅子に座ったままで過ごすことを当たり前にできるような体ではなかったでしょう。常に動いて何かをつくったりするのに向いた体であり、手の配置であったと思います。

赤坂 : なるほど。常に動いているわけですか。固まるのは、決していいことではないはずですしね。私は小学校のときの通信簿に「いつも手遊びをしている」と注意されていたけれど、悪くなかったのか(笑)

それにしても二足で立つことは、本当にワンダーです。手ひとつとっても持て余しているのに、その割に平然と立っている。よくこれで立っていられるなと私自身思います。驚かないではいられません。

尹 : 大人になったいま、站樁によって改めて立つことを学んでいます。でも、赤ちゃんの頃、初めて立ち上がったときは学ずに立てていた。

赤坂 : そういえば、すべてのサーファーは「波の上に初めて立ったときの感覚」を再現したくてやっていると聞いたことがあります。それが快感なのだと。

尹 : 赤ちゃんにしてもサーファーにしても、初めて立ったときは、まったく過不足のない状態だったのだと思います。
ところが、なまじ立てるようになり、しかもそれが平面だと「自分はちゃんと立てている」という幻想をもてます。波のようにわずかでも不安定になるとそうはいかない。全然立てていないことが明らかになるでしょう。だからこそ初めて立てたという円満な瞬間ともう一度出会いたくなる。なんとなくわかります。

赤坂 : 海ほどではなくても、昔は地面もアスファルトで舗装されたり平らに均されておらず、いまみたいに安易に歩けなかったでしょう。
ぬかるんだり段差や斜面が昔は普通にあったのでナンバ歩き(注8)ができたんだと聞いたことがあります。

尹 : 悪路が多かったからナンバ歩きができたというより、そうならざるをえなかったんでしょう。

赤坂 : 上り斜面だと手と足は同側で出すほうが楽ですし、考えずともそうなりますね。

地を這う暮らしを忘れてしまった

尹 :歩き方についていうと、いくら欧米化されたといっても歩き方の根本まで完全に変化していないようです。膝を曲げてちょこまか歩く人は若い世代にもいますよね。
そういう光景を見ると風土と体は関係しているし、生活が欧米化されても、なにがしかの記憶は体に残るのかなと思います。

赤坂 : 私のいまのテーマは「古代日本人の動きを取り戻す」です。だけど、どう動いていたのかわからないし、そもそもこのテーマの探求が何に効くかはもっとわからない。

尹 :体に関する事柄は文字に残らないですよね。たとえば平安時代でも、どういう衣服を着ていたかすらわからない。絵巻物で描かれているのは、あくまで貴族の着物で大多数の庶民がどのような格好をしていたのかわからないそうです。麻を着ていただろうとは言われています。

赤坂 : ましてどういう立ち方、動き方をしていたかなど想像すらできない。

尹 :座り方もいまのような正座はポピュラーではなかったはず。鎌倉くらいだと楽座や胡座がわりと一般的だったようです。時代が下れば下るほどより地べたに近いところに座ったように思います。

赤坂 : 地べたですか?

尹 :そう思うようになったのは、最近、インドネシアのシラットやフィリピンのカリといった武術を学ぶようになったからです。

どちらの武術も中腰からそれ以下の低い姿勢での攻防に特徴があります。日常生活で草を刈ったり、洗濯をしたりと地べたに近いところでの所作が普通に行われていたからだろうと思います。昔の日本も縄をなうとか砧を打つ、料理するとかしゃがんだ姿勢で作業をすることが多かったと思います。
最近ではあまりに見られなくなりましたが、一昔前までは町中でしゃがむおじいさん、おばあさんの姿を見たものです。

赤坂 : あ、一時期「ジベタリアン」と呼ばれた若者が根性がないとか言われましたが、自然だったんですね!?

尹 :シラットやカリをやってみて思うのは、椅子を使う暮らしにすっかり慣れてしまい、しゃがむことがうまくできなくなっている。そんな体の発見でした。
しゃがんだ姿勢で柔軟に動くには、ちゃんと足先まで感覚が届いていないといけないのですが、まったくおろそかなのです。末端が感じられていない。だから手足が協調できない。

シラットやカリをやっている人にとってはしゃがむことも手足の協調も普通の動きでしかない。いわば日常が型から外れていないから、日常の動きが武術にもなる。だから先ほど赤坂さんから古代と聞いて、より地べたに近いところでの動きになるのかなと思いました。(Vol.2へ続く)


(注1)体操による人間変革を提唱した野口三千三によって創始された。気持ちのよい楽な動きを追求する。
(注2)西野バレエ団創始者、西野皓三によって創られた呼吸法。全身にエネルギーをめぐらせ細胞に働きかける効果があると提唱。
(注3)ロシアの特殊部隊員であったミハイル・リャブコによって創設された格闘術。リラックスと呼吸し続けての攻防が特徴。
(注4)国手と呼ばれた王郷斎によって創始された拳術。
(注5)日本の武術でいう型にあたるもの。
(注6)程聖龍国術館の創始者。太極拳、形意拳、八卦掌を教導している。
(注7)意拳の創始者、王郷斎が編み出した。站樁とは「杭のように立つ」の意味だが、固定した姿勢を取るのではなく、いつでも動き出せるような状態をつかむための方便。
(注8)狭い意味では右手と右足、左手と左足を同時に出す歩き方だが、同側の手足よりも上半身と下半身をねじらずに歩くと理解するほうがナンバ歩きの実態に近い。


2015年2月27日
撮影:渡辺孝徳

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