Vol.1 鳥取にたみができるまで

第6号 うかぶLLC共同代表 蛇谷りえ

Vol.1 鳥取にたみができるまで

尹:最近、蛇谷さん、三宅さんともに取材を受ける機会が増えているみたいですね。

蛇谷:といっても空き家活用のテーマばかりですね。リノベーションは鳥取に限らず、日本中
で盛り上がってんのかもしれませんけど、そこに重きを置いてないんですよ。

尹:いま興味を持っているのは?

蛇谷:ここにしかないものですかね。この前、台湾に行ってきたんですけど、台湾では自国でつくっているものが全体の3割くらいしかないようにみえました。シンガポールとか日本とか外国の製品で占められているから台湾製のものを探すのがたいへんなんですよ。

場末の金物屋に行ってようやくお目にかかれるみたいな感じ。しかもそれは100円くらいの値段で売られているものしかない。ホントに台湾製のものに出会うことがなかなかできないんです。
そういうの知ってすごい反省したんですよ。台湾人に「これ、日本のもの」と紹介できるものって何があるかな。日本というか鳥取というか…、「ここにしかないもの」。それあるかなと考え出したら、そういうことをやりたいなって思うようになったんです。そこに興味あります。

鳥取には「とっとり春のパン祭り」というイベントが毎年ありまして、今年は50店舗くらい出ます。パンは1時間半くらいで売り切れてしまうくらい人が来るんです。
去年、「たみ」も出たんですが、うちはパン屋じゃないし、がんばって売っても得るものがそんなにない。そこで今年は「おみくじ」をしたんです。くじには全国のゲストハウスの情報とその近くにあるパン屋の情報を載せていて、行くかどうかはその人次第。

もとは三宅くんのアートワークの「おしょくじ」というおみくじがベースです。彼が横浜や墨田区のアートプロジェクトで展開していたもので、くじには近くでランチが食べられる店や店主の情報、オススメメニューとか書いてあります。参加者はそれをひいて、出かけるわけです。横浜だとクジラが食べられる店、墨田区ならスナックとか入りにくい店をわりと選んでいました。
それを知った当初は「何がおもろいんやろ」と思ってました。でも、スタッフとして関わっていた人の様子を見ると、行ったことのない店のおばちゃんに協力のお願いをしに回る中で、相手の人となりがわかってきたりするわけですよ。それが常連の気分を味わうようで楽しかったみたいです。

おもしろさ最優先で考えてます

尹:居場所が広がっていくような感覚を味わえる仕掛けだったんですね。

蛇谷:スタッフだけでなく参加者も旅人の感覚を得られるみたいですよね。外から来て知らない町や人を知ることができる。それをパン祭りでやるのはおもしろいかなと思いました。
まあ、その企画に限らずですけど、見出したおもしろさはあくまで私の解釈です。三宅くんと私は別のタイムラインで動いているので、だから互いが理解できたことは事業化するという感じですね。

「うかぶLLC」がこれまで事業化した中には、因州和紙でつくったピアスキットや鳥取の山の景色を収めた、カレンダーを兼ねた写真集の製作などがある。

尹:おもしろさと事業として成立するかを天秤にかけて、どちらを優先させています?

蛇谷:おもしろさが先です。だから単発で終わるんです。写真集も赤字にはならないように計算したけれど、それにしても売れませんでした。

私らがおもしろいというのは別にわかりやすくないし、そう売れるもんでもない。いろいろやってわかってきたのは、儲けるスキルは宿と飲食だから、これを安定させて、合間におもしろいことをやったほうがいいなということ。いろいろ思いつくことはあっても、ただの思いつきだったら、毎日の仕事の手が止まってしまう。それは嫌なんです。

尹:ゲストハウス「たみ」を始める前は、アート関係の仕事をしていたんですよね?

蛇谷:私は大阪で生まれ育ってデザインを勉強してアート現場で働いていました。市長選が終わると施策の変更で文化事業のお金が止まってしまいました。クライアントはみんな文化事業だったから、仕事がなくなったんです。そこで改めて気づいたのは、クライアントがアート界隈の人たちだらけで、そういう人としか出会えない環境に自分がいるんだなということでした。

どこのオープニングパーティに行っても絶対に現れる人がいるし、同じような話しかしないし、だんだん居心地悪くなってきたんです。
大阪でやっていた仕事は、アートに関心のない人や美術館に来ない人とどうやって出会うかといった企画でした。私は関心のある人とない人の境目にいたかった。でも、文化事業がなくなっていくタイミングで、「なんで私は境目にこだわっているやろ?」から、さらには「なんで大阪にいるんだっけ?」と思うようになったんです。

尹:多様な人がいるようで、出会う人は限られてくるんですか。

蛇谷:リノベーションも町づくりも同じような流れにあると思うんですけど、一般化されるに従って本当にやりたい人とおもしろそうだから来る人、儲かりそうだから来る人が寄って来て、そのうちぐちゃぐちゃになります。
アートも料理と同じで、やる人はわざわざ「やろう」と言ってやってない。生活の一環でやり続けるものです。そういうものだと思うんです。でも、私は「おもしろそうだから来て飽きて帰る」人たちとの出会いを発展させられずに、ずっと直面してきたから、相手にしているとやっぱり疲れてきたところがありますね。
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場所が持つおもしろさをアート以外に拡張する

尹:ゲストハウスに興味を持ったきっかけは?

蛇谷:インフォメーションセンターで働いていたから、ふらっと入ってきた人に「これ、きっと好きだと思いますよ」と紹介したりしてました。たまたま寄った場所をきっかけに関心を持ってくれる人もいたから、「場所が持つおもしろさ」は知っていたんです。

でも、実際のところはどうかというと、大量のフライヤーをつくってもほとんど捨てられて、見てくれたうちの数%しか来ないわけです。人を集めるというのはすごい不自然に思えてきて、それなら集まっている場所で何かを投げ込めたらいちばんいいんじゃないかと思うようになったんです。

ちょうどその時にトークイベントでゲストハウスのオーナーを呼ぶことになりました。ゲストハウスがおもしろそうという興味からではなかったです。
人を集めるのではなく、「集まっている場所をつくっている人はどんなことを考えているのか」を知りたかった。オーナーによると「宿だから人は集まるし、鍋でもやったら勝手に始まっちゃうんだよね」。
ようは知らない人同士の会話が鍋を間に挟んで始まるし、それぞれの価値観が飛び出てくるわけです。それが鍋ひとつでできると聞いて「めちゃいいやん」と思うと同時に「これが鍋じゃなかったらどうなるんやろう」と考えました。でも、そのときは「おばあちゃんになったらゲストハウスしよう」くらいのことでした。

蛇谷さんと三宅さんが知り合ったのは2009年、その際、ふたりともゲストハウスに興味を持っていることを知り、翌年の「瀬戸内国際芸術際」では岡山県で1日から滞在できるアートスペース「かじこ」を開催。
「かじこ」とは「舵取りをする人」の意味でゲストハウスのように宿泊することもカフェとして利用することもでき、滞在者がイベントを開けば、宿泊料が1000円引きになる仕組みをつくった。たみの前身には、この試みがあった。

尹:ところが三宅さんが廃業になった宿を使って作品を手掛けることになった際、蛇谷さんに声をかけ、それが瀬戸内国際芸術祭での作品「「かじこ」」として3ヶ月半にわたってゲストハウスを展開されたわけですね。

蛇谷:はい。「かじこ」で想像以上のことができたから、「これは3ヶ月半じゃ物足りないな」と思ったんです。私も三宅くんも単なる宿がやりたいわけじゃなかった。だから「かじこ」は2600円で泊まれるけれど、イベントをしたら1000円割引しますよという仕組みにしました。特別なアートイベントでなくても、その人の特技を披露したらイベントとして成立して、けっこううまくいったんです。
そのうち地元のアーティストや関わりたい人が来てくれるようになり、「なるほど。こういうイベントにはこういう人が来るんだな」とかわかったきたし、「鍋以外なら何がウケるか」というのはそこでちょっと見えてきました。

尹:「想像以上のこと」ってなんですか?

蛇谷:「かじこ」のあった地域には祭りがあって、街の人らが私らに「参加してもいいよ」と声をかけてくれるような、地元に溶け込む瞬間があって、最後は法被を着て参加させてもらったんです。それにけっこう感動したんですよ。それまでは呼ばれたところへ行って、アートスペースの人にお世話になって、終わったらバイバイと帰っていたから、地元の人と会うことがなかった。

わざわざ出かけないと会えない場所を目指す


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尹:初めてアートと関係ない人が自分らに興味を持って誘ってくれたのが嬉しかったわけですか。

蛇谷:地元の人らはアートに思い入れがあったり、大好きなわけではない。でも、つながりができてみたら、「あんたらおもしろいね」と言われて、ようわからんけど友達になるみたいな関係ができていったんです。そういう経験は大阪の暮らしではなかったから、「こういうのいいな」と思いましたね。夢みたいな時間でした。それまで社会に馴染めずに浮遊していたから、初めてそこで人と関われた感じがして嬉しかったんです。それでなんか「これいけるな」と思った。

尹:「これいけるな」の「これ」ってなんです?

蛇谷:ごく些細なことですけど、「宿泊できる」ってことです。アートを知らない人が対象で、具体的なイメージはないけれど、どこかの町であること。要はアートの流れと無縁で、しかも人の流れがたくさんないところで「泊まれること」をやりたかった。立地としては、わざわざ行くところがいいなと思ったんです。

いわゆるリノベ系の人たちや町づくりをしている人たちに声をかけたところ、最初に紹介されたのが尾道でした。その建物の前には自動販売機があったんですけど、1ヶ月で10万円売り上げがあると聞いて、「ここで宿をやったらもう絶対に人来るやん」と思ったから止めました。
次は高野山を紹介されたんです。あそこは宿坊の文化があるから、そこで安いゲストハウスをつくって邪魔するのも嫌やなぁと思いました。

尹:それで次に紹介されたのが鳥取だったわけですね。

蛇谷:そうです。(続く)


2016年7月22日
撮影:田中良子