vol.3 建築で人を排除しない世の中に変える

第8号 一級建築士 岡啓輔

Vol.3 建築で人を排除しない世の中に変える

今いたるところにタワーマンションが建設されています。以前、ある建築家に聞いたことがあるんです。タワーマンションの高層はともかく中層以下はおそらく将来はスラム化すると。

岡:余裕でわかっていますよ。それだけじゃない。あれだけ高い建物だから何かが起きた時に全員が逃げられるように避難階段を十分に作る必要がありますよ。そうなったら当然上層よりも下層に階段が増えないと逃げ切れない。だけど、そんな作り方をすると一階はすべて避難階段になるような設計になる。
 それはあり得ないよねということで、避難階段は少ししか作らない。だから非常時には9.11のテロの際に見たようにビルから飛び降りるしかない。何か起きたら逃げ切れないと建築家はわかっていますよ。

わかっていながらやってるわけですね。でもどんどん建てられている。

岡:基本は住人を右往左往させるのが経済の戦略です。かつては都市が人で溢れたら多摩ニュータウンのような郊外に都市を作って、電車を通した。でもすぐに詰まってくるし、「ニュータウンは嫌だ」という感覚が出始めたら、超高層マンションをバンバン建てて、買う人も「夢だった」と言って新たに移動して住み出すわけです。

 でも超高層マンションはさっき言ったみたいにどうしようもないところがいっぱいあって、そうすると出てくるのが2024年くらいに行われるという東京の農地解放ですよ。23区は意外と農業しかやっていない土地がいっぱいあります。それを全部フリーにする。そうしたら都心部に庭付きの一戸建てが作れる。それが段取りとしてあって、そうしたら超高層に住んでいた人たちはそっちに流れる。

戦後、ずっと右往左往させられているわけです。経済の理屈からしたらそれがいいんでしょうが、どうしたってダウンサイジングせざるを得ない時代です。そういう時代も睨んで建築家は建築と社会のあり方について考えるわけですよね?

岡:一般論として言えば、世の中が拡大していく時代であれば、建築に限らずあらゆる産業の分野で仕事は細分化し、とても狭い範囲の仕事が超プロフェッショナル化していきます。

 けれども人口が減って縮小していく社会になっていくと、合わせ技を持つ人が増えていかないといけない。たとえば、大工だけど少々下手ながら壁が塗れるし、電気工事もできるとか。まあまあの合わせ技のできる人が増えていかないと、縮小社会は成り立たない。

合わせ技で好きな暮らしを作れる時代

そうでないと成り立たないのでしょうが、肯定的に捉えれば、ひとつひとつのレベルはそこそこでも、それらの合わせ技で自ら何かを作り出して生きていける時代になってきたとも言えます。

岡:「ナリワイをつくる」の伊藤洋志さんも言ってますけど、たとえば東京だと金もかかるから田舎で安く住もうとする。大抵の田舎の家の床はベコベコだから、それを大工に頼んでやってもらっていたのでは、最初の安く生きていこうという目標が失われる。だけど、何にもやったことのない人でもyoutubeを見てやり方を覚えたら床くらい貼れます。

ネットとDIY用品が手に入るホームセンターの影響は大きいです。

岡:あんまりプロに頼らなくても結構なことはできますよね。蟻鱒鳶ルも4、50年前ならできなかった。今はネットで色々調べられるから、「やっぱりそういう理屈で作っているのか」とわかる。それに昔なら専門道具がどこに売っているかわからないし、手に入らなかった。今は「そっか。あれを締める道具は2000円で買えるんだ」とわかるし、手に入る。素人でもやれるチャンスが広がっている。

作る上で最初にネックになるのは、今まで買うことに慣れていたので、つるんとパッケージングされたものが完成した姿と思いがちなことです。自分で作るとそういう風にはならないですから。そのギャップにへこみがちです。でも、暮らしていく上でそんなに完成度は必要かと思うんですよね。

岡:家に関して言えば、そもそもハウスメーカーの作るものの完成度は高くない。以前は大工をやっていたから言えるんですけど、どちらかと言えばごまかす技術がうまい。「ここにこういうシールをピタッと貼れば上手に見えるでしょ?」というような技術がいっぱいある。あまり褒められたものではない。

裏側はそうでも、表面的には「こういう水平は出せないな」とつい思ってしまいます。

岡:そうですね。確かに「これ、難しいな」と外から思われるところはがんばる。だけど、現実は本当にめちゃくちゃ手を抜きますよ。手を抜く人たちに作られるくらいなら、少々下手でも自分でがんばって作った方がいい。安心ですよ。

現場の人も手を抜いて楽しいわけがないと思うんですけど。

岡:岩手の津波の被害を受けた土地で家を作っている人がいます。大手の◯◯林業が作っていて、施主は嬉しいから見にいく。そしたら大工に「入らないでくれ」と言われた。それでも入っていたら、ついに柵で覆われ、シャッターまでつけられた。ようは作っているところは絶対に見せられないんですよ。写真を撮ったらどこで手抜きしたかわかるから、そんなことはさせられない。

 僕が大工をしている時も「施主が来ても絶対に口をきくな」「仲良くするな」と言われました。お茶を持ってきて話しかけられて、相槌をうったら後ですごく怒られました。仲良くなって現場に来られたら困る。だから入れないようにするんです。

家を作る過程を見ていると何千万円もする高い買い物のわりに配管とか壁とか資材が貧相ですよね。

岡:2×4の住宅だと細い木にたくさん釘を打つことで強度を上げるんですが、ある幅なら「15本の釘を打ちなさい」といったルールがある。でも、親方になると数本しか打たない。「いやいや、ダメですよ。それじゃ柱の強度が足りないです」と理屈を言うと「おまえは経験がねぇんだよ。俺たちがこうやって一度も壊れたことねぇよ」と言われて終わりです。「そりゃ新築のうちは壊れませんよ」と言えば、「また岡の理屈が始まった」と言われる。

本人たちは、手抜きではなく経験値だと思っている?

岡:そうです。手を抜いているんじゃない。「手を抜いているところを把握できた俺たちの成長」と言ってました。

いつからそういう経験値のあり方になったんでしょう。

岡:どこでどうずれたかわからないです。僕の友だちにもいい大工はたくさんいます。それは確か。でも、食い扶持を稼ぐために家を作っている人たちは本当につらい。健康に良くない材料も使わされるし、手を抜けるときがあったら抜くって決めてますもん。

蟻鱒鳶ルの売却を決めた理由

作る喜びや手を動かすことを味わいたい。そういう思いを持っている人はそれなりにいると思います。それと「つらいことをしてでも稼がないと生きていけない」との間に葛藤がある。それを解決する上での正解はないでしょう。

 僕は手先が不器用ですが、木槌と鑿で皿を作ったことがあるんです。ああいう手ずから作ることしていると、すごく自信を持てるから不思議です。仮に人から「そんなの全然ダメだよ」と言われても「だから何?」と思える。自分ができることをやっていたらいいんだ。やっていたら道が開けるんじゃないかという自信が持てる。まるで目算はないけれど。でも、その感覚は嘘じゃない。

岡:そうだと思います。

岡さんは、もうやり切れないと思ったことはあります?

岡:再開発で無理難題を言われてハゲたりすることはありました。でも、ダメになるようなことはなかったです。僕は自分の考える力だけは信じている。考え抜いたら必ず突破口があると信じています。それは今までの人生で何度か絶対無理ということがあってもやってこれたからで、だから行けると思っています。間抜けなほど信じています。絶対に何かやり口はあるはずだと考えますね。

 再開発を進める企業の人たちに「ここのラインまで自腹でがんばってくれたら、残りは私たちがお金を出します」とずっと聞かされていた。そこに近づいたら「お金を出すなんて約束は一切していない」と言い出した。そのとき、生まれて初めてテーブルを叩いて「ふざけんな」と言って退席しました。
 その夜は怖くて寝られない。騙されていた。金が尽きようとしているのにどうするんだ。最初は不安で仕方ない。だけど、途中からは「朝まで考え抜くぞ」と思った。金をどうするか。どうやり抜くか。そこで蟻鱒鳶ルを売ると決めたんです。
 あと、コンクリートのボトルを売るのもいくらで売るか悩んでいた。その時に「よし、金がないから1万円」と決めた。そういうときはやはりネーミングが大事。それまでは「余りコンクリート」と言っていたけれど、それは違う。もっとグッとくるやつでないと。そこでビル本体を「蟻鱒鳶ル(大)」としたら、コンクリートのボトルは「蟻鱒鳶ル(小)」だ。「蟻鱒鳶ル(大)」を売り抜くことをがんばれば、きっと買う人が出てくる。そこは信じよう。なにせ200年保つんだから。そして「蟻鱒鳶ル(小)」を売ることで稼ごう! そういうことを思いついてやっと朝方に寝れました。

不安に駆られるので終わるのではなく、それを具体的な形にして考え抜くんですね。

岡:今のは一晩考えたことだけど、何年も考えることをやります。「これは難しいな。1年間考え続けるぞ」と決めたり。場合によっては5年くらい考えていようとか。そして結論を出したら実行します。

 1年間ベジタリアンになったことがあります。自分ではベジタリアンになったつもりではなくて、今までの人生で肉は食べてきたから肉の喜びは知っている。今から一年間、肉を食べない期間を作って、食べるべきか食べないべきかを考えよう。そういう風に自分で思うんです。
 1年経って、肉を食べるという結論を出したから、そしたらそれ以降については悩まない。考えた結果、食べると決めた。以上終わりです。人生が1000年あったら肉を食べるかどうかに10年かけていいかもしれないけれど、この問題は僕の中では1年。そんなことをしがちです。

有象無象がいる世界から誰も排除しない

決断したら迷わないんですね。迷いのなさで言うと、岡さんは建築で世の中を変えると言ってますよね。

岡:世界は格差社会で問題ない。貧乏人と金持ちに分断されていてもいい。そんなことを政治家が言い出すようになっています。とても恐ろしい。
 ヘイトやレイシズムもはびこっているけれど、建築現場にはずっと前から溢れていたんです。
 東京の建築現場で働いている若い職人は東北や北海道出身が多くて、彼らは地元では劣等生で東京の現場で働くしかなかった人たち。それに対して、海を渡ってまで稼ごうとするアジアから来た人は大抵能力が高い。やる気もあるから覚えが早い。そうすると若い日本人の職人はめちゃくちゃ外国人を排除するし、差別することに努力する。いま街頭に出てきた差別が何十年も前から建築現場には溢れていました。

 だけど、僕はだからこそ建築の現場から変えられると思っています。そういう人ともちゃんと仲良く現場を作ることが建築にはできる。排除せずに一緒に作ることが建築にはできて、そこはすごい希望のあるものだと思っています。
 建築はイケている少人数で作るのではなく、有象無象の力を合体させてできるもの。そういうことができたらいいなと思う。排除する世界を作りたくない。
 どんな建築家と話していても、職人を語る人はいない。そうやって無視していたら職人の質が下がってしまい、デザイナーがかっこいものを作ろうとしても、それができる職人がいなくなっている。
 いろんな人を取り込む建築の力がいまこそ重要じゃないですかね。みんなでやらないとなんかできない。みんなでやらないと何もできない。きっとそうだと思いますよ。(了)


2019年3月13日
撮影:©️ 田中良子