鹿児島旅行記

鹿児島にある障害者支援センター、しょうぶ学園のパーカッショングループ「otto&orabuが主宰する「踊るサウンドマジック」を見に、霧島まで行ってきた。ゲストは高木正勝さんとおおたか静流さん。

ひとつひとつの演奏を取り上げたらそりゃプロのほうが上だ。でも、otto&orabuの演奏を聴くといつも思うのは、その上なり下なりといった評価はいったい何のためにあるのか?ということだ。
ただ音を奏でる原始的な行為には評価を差し挟む隙がない。いったいプロってなんだろう。うまい・ヘタだとかできる・できないとか、僕らがこだわるあれらはほとんど無意味に思えてくる。

霧島のすぐ隣は天孫降臨で名高い高千穂とあってか、その日の空には龍のような雲がふたすじほどたなびいていた。緑と風が心地いい空間で音楽を堪能した後、霧島の宿に向かった。

ホテルのフロントに着くと、受け付けの人は僕が日本語をしゃべれると知り安堵した様子で、「どうしようかと思っていました」と話した。東京や大阪では、そういうことを思っていても口に出さないから、とても無邪気だと思う。外国人観光客に戸惑いを感じているようだ。

フロントから離れたコテージに案内され、部屋や大浴場の使用法を説明してくれた人も同じく緊張していたようで、「日本語がわからなかった場合に備えて、英語で書きました」と言うので卓上を見れば、折り紙の鶴とともにウェルカムメッセージが置いてあった。

「むしろ英語は苦手です。日本語しか話せないんですよ」と言うと、彼女は「見かけだけで判断してはいけませんね」と笑う。
「やはり韓国や中国からの観光客は多いのですか?」。そう尋ねると「はい。増えています」と返した。たしかに別府や宇佐、阿蘇でもガイドブック片手の韓国や中国、タイからの観光客を多く見かけた。

霧島をタクシーで走る中、修学旅行や団体旅行向きの大きなホテルをいくつか見かけた。霧島に限らずプール並に大きい浴場を名物としたホテルが以前は各地にあったものだ。そういうところでは、なぜかハワイアンショーみたいな、誰のためなのかわからないサービスを提供していた。異国情緒をペンキ絵で仕立てたような観光のあり方が80年台にさしかかる頃まではあったと記憶している。

国内の団体旅行が減っている上に、いまはそうした大雑把なサービスでは客は呼べない。まして外国から来る観光客にとって魅力があるわけもない。観光客は美味しいご飯と温泉と心地よい景色、小回りの効いたおもてなしを期待している。アジアからの訪問者を呼び寄せる工夫が活路になっているのは間違いないだろう。
けれども「どうしようかと思っていました」と素直にいうホテルの従業員の言葉には、「なぜうちを見つけたのか?」といった半信半疑の響きもあるようで、何を提供することが魅力なのか自身もあまりわかっていないように思えた。

翌日、霧島神宮へ。
これまで香取や宇佐、太宰府にも参ったが、まだ手付かずの“何か”があると感じさせられた。本当に気持ちのいい社だった。参道で高木さんとバッタリ会い、なんだかご縁を感じてしまった。
その後、鹿児島市内へ向かう。路面電車に乗ると川内原発の作業員募集の中吊り広告があり、その脇には地元のデパートで46年行われているビアガーデンの開催を告げる広告があった。

パチンコとカラオケとチェーン店が目立つが、かといってそれらに活気があるというのも違う。営業中であることは確認できるが、それ以上ではない。どこの地方都市にあるような風景なのだろうが、その景色と市電で見た川内原発、ビアガーデンの広告を思い返すとふと思う。鹿児島においても「今日より明日はもっと良い」というような、日本全国を覆った多幸感に感電していた時期がこの土地にもあったのだろうか。

横断歩道の脇に降り始めた雨を少し堰き止めるように桜島の火山灰が薄く積もり、ざらざらとした感触を靴底に感じたまま道を歩く。鹿児島に来るたび思うのは、このざらつきだ。人々の顔も明らかに違う。誰かに似ているといったなぞらえができないような容貌だ。
いまどきは役者でも時代劇に合わない顔つきをしているが、鹿児島には現代人だけれど時代劇に映える顔をした人が多い。街も東京や博多のような都会然とした顔つきをしていない。それは経済の活性に比例した洗練具合だけで片付けられないように感じられて仕方ない。

僕はカフェや雑貨店、スウィーツが好きだから、それを基点にして街を見てしまうけれど、街の魅力が消費やフリルだけで語れてしまうわけもなくて、まして魅力ある土地になるということが、じゃらんや食べログのランキングで上位になることでもない。

誰もがクレドカードをポケットにしまったツルンとしたサービスを提供するならつまらない。
だからといって「新鮮な野菜を粗塩で召し上がれ」みたいな都会との落差だけを魅力として抜き出すという手抜きでもなく、そこでしか味わうことのできない魅惑ある場所にすることがお金の流れを導くことなんだろうけれど、それを「これまでとは違う経済のカタチ」と言うだけでは何にも言っていない。そんなことを思いながら名物の白熊をしゃくしゃく食べていた。

東京から離れるという選択を本格的に始めて8ヶ月経った。
九州という島は東京からすれば端に位置するのだろうけれど、東京もアジアのローカル都市のひとつという視点からすれば、国内だけで通じる端と中央という関係性で自分の住処を捉える見方ももう賞味期限切れであることは間違いなくて。

だからといって地方都市の時代などと言えないくらい経済活動は不活発だ。それでもどうにかこうにか生きているという現実があって、その現実が何によって成り立っているのか。それを見ていく必要が僕にはあるんだろう。

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