ワークス

『つながり過ぎないでいい——非定型発達の生存戦略』
あらすじ
コミュニケーションや感情表現が上手できないと悩んだ著者はやがて、当たり障りなく人とやり取りする技術を身につけていく。
だが、難なく意思疎通ができることは、本当に良いこと、正しいことなのか。
なめらかにしゃべれてしまうことの方が、奇妙なのではないか。
「言語とは何なのか」「自分を言葉で表現するとは、どういうことなのか」の深層に迫る、自身の体験を踏まえた「当事者研究」。
著者より一言
ずっと昔から適切な感情表現だとか、その場にふさわしい振る舞いというものが謎だった。「非定型発達」という語に出会って、ようやく自分の適応できなさの意味が理解されて、いまでは「できる・できない」のあいだを行くような生き方をそれぞれが勝手にやればいいんだと思ってます。
『親指が行方不明: 心も身体もままならないけど生きてます』
あらすじ
いつの頃からか両手の親指が「行方不明」になりがちだ。親指がつながっていない感じがあるため拳を握るのが難しい。感覚的にはみ出たまま、いつも熱を帯びている。動くときは引っかかる感じがする。ズレは親指に限らない。僕はいろいろと不具合を抱えている――この探求が僕と同様に困りごとを抱えている人の生きやすさにつながればいいなと思っている。(本書より)
著者より一言
いわゆる当事者研究と呼ばれるのでしょう。親指が自分の手から切れているという感覚が幼い頃から付きまとっていた。他にも背骨や身体のいたる所が捻れている感覚もあって、それが巻き起こした珍騒動とその格闘を通じて得た自分の立脚点について書いています。
『さよなら、男社会』
あらすじ
僕らはいい加減、都合のいい妄想から目を覚まさなければならない。圧倒的な非対称を生きる僕らは、どうしてその事実に気づけないのか。真に女性と、他者とつながるために、乗り越えねばならない「男性性」の正体とは何か。

50歳となった著者が、自らの体験を出発点に「いかにして男はマッチョになるのか」「どうすれば男性性を脱ぎ去ることができるのか」を問う。
——これまでにない男性をめぐる当事者研究!
著者より一言
自分の生まれ育った環境とその後の歩みの中で育ててきてしまった男性性と女性性について、極めて個人的な体験とその解明を通じて迫った内容です。
『異聞風土記 1975-2017』
あらすじ
高度成長期に生まれ、多感な時期にバブルとその崩壊を体験し、阪神大震災・東日本大震災という二つの巨大な天災をへて、いま未知のウイルスに浸食されている「私たち」。その姿がたった一人の視点と経験が浮かび上がらせる。神戸・京都・大阪、東京を経由して、福岡・鹿児島、そして宮古島へ。
すでに行き去りし人々の息遣いと熱をまとった「私の物語」から明らかになるもう一つの日本史。
著者より一言
畏友の坂口恭平くんに「なんか湿度と温度があって、ゼーバルトみたいだよ!」と言われて嬉しく思ったエッセイです。書いていて楽しい本でした。僕が住んだ街と訪ねた土地で出会った人々、隠れた記憶を掘り下げた私的な個人史であり日本史です。
『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』
あらすじ
犯人は、「他者の不可解な行動」や「社会の空気」にあらず……共感、個性、協調性、正しさ、「みんなが…」
――こうした言葉で、現代人が自らハマる罠を見事に解明!身体に根ざした、本当の自信を取り戻す!
著者より一言
「ベビーカーで電車に乗り込むのは迷惑だ」という世間の反応のたった一点のみを足がかりに書いた本です。
『「ユマニチュード」という革命: なぜ、このケアで認知症高齢者と心が通うのか』
あらすじ
フランスで生み出された、認知症高齢者が穏やかな人生を取り戻すケア技法「ユマニチュード」。本書は、その考え方と技法の実践を開発者自らが語り下ろした本です。「ユマニチュード」を導入した施設では、こういった「魔法のような」症例が数多く報告されています。
フランスでは400以上の病院やケアホームで導入され、すでに日本を含め数か国で実践されています。本書では、なぜユマニチュードが生みだされたか、また、ケアにおいて「なぜそうすべきなのか」
「なぜその方法に効果があるのか」という根拠をやさしく丁寧にひも解いていきます。
著者より一言
フランスで開発された、高齢者認知症のためのケアの手法である「ユマニチュード」。その創設者であるイヴ・ジネストさんにみっちり聞いた話をもとに構成した本です。私が私であることの尊厳を大切にするからこそ、あなたを愛することができる。素朴にして重要なメッセージが満載です。
『脇道にそれる: 〈正しさ〉を手放すということ』
あらすじ
仕事、家族、生活…。私たちは様々な場面で固定観念に縛られている。世捨て人になるのも手だが、社会に属しながら常識という名のレールをそっと踏み外すことができたら、何が見えてくるだろう? 「べてるの家」の人々から伝統工芸の職人まで、「先人」たちが教えてくれた唯一無二のあり方とは。
著者より一言
編集者から「脇道にそれるというタイトルで何か書けませんか?」と言われて書き始めた本です。アウトサイドでもなくインサイドにはまり切るのでもなく、あれとこれとのあいだを歩む人や出来事について書いてます。
『やわらかな言葉と体のレッスン』
あらすじ
生きるために必要な「知性」にはどのように出会ったらよいのだろうか。
寒い冬を乗り越え、桜のつぼみがうっすらピンク色に染まり、ちらほらと咲き始めたのを見た瞬間に「! 」と感じる、「からだ」とは何か。
本書では、多数の著名人にインタビューを行い、人と人としてぶつかり合った著者が、ありふれた日常にある「からだ」と「世界」へ問いかけ続ける方法を描き出す、新しい身体論。
著者より一言
身体で書く、聞くという発想が最初に訪れた頃に書いた内容です。洗練を欠いているかもしれないですが、視点を獲得した初々しい気持ちが満ちているのではないでしょうか。
『体の知性を取り戻す』
あらすじ
小学校入学と同時に覚えた「小さく前へならえ」。それ以来ずっと、私たちは社会が求める「正しい」鋳型に自分の体をあわせてきた。その結果、何が本来の自分なのか、わからなくなっている。自分の体は、自然界最大の謎なのだ。あらかじめ体に装備された力とは何か? どうすればそれを取り戻せるのか? 気鋭のライターが、自らの武術体験から、体に眠っている能力の引き出し方を明かす。
著者より一言
敏腕編集者と名高いKさんに「何か書きませんか」と言われて、まず着想したのが小学校のときに教師に言われた「小さく前にならえ」という謎の言葉でした。その言葉が象徴する身体への迫り方がいかに私たちを萎縮させているか。そこから脱するにはどうすればいいのか。そんなことを書いています。
『荒天の武学』
あらすじ
荒れた世にこそ武術の知恵は生きる!
内田樹×光岡英稔
武人対談
武術において想定外は許されない。不意の事態に際して、最適な答えを常に求められるのが武術本来の在り方だ。その精神は危機の時代、先が読めない荒天の世にこそ真価を発揮する。現代思想家・内田樹は合気道七段の武道家でもある。その内田が注目するのが中国武術韓氏意拳の光岡英稔。光岡は十一年にわたるハワイでの武術指導歴を持ち、きれい事ではない争闘の世界を歩いてきた。本書はふたりの対話を通じ、護身、闘争という狭い枠にとどまらない、武術に秘められた荒天の時代を生きぬくための知恵を提示する。
『荒天の武学』(内田樹/光岡英稔著)書評=「一寸先は武の世界」名越康文(精神科医)
著者より一言
私の師事する光岡英稔先生と内田樹師範の対談本です。構成を務めました。この本を読んで武術を習ったという人もいるので、なにがしか役に立っているのかなと思ってます。
『増補新版 FLOW: 韓氏意拳の哲学』
あらすじ
「ある」ことはわかっても、それが何であるのか、はっきりとはわからない。
あるから感じられるけれども、「未知」であることは言語化できない。
中国の伝説的武術家、王薌齋によって示された、人間本来の「自然」を発見する道とは。
光岡英稔氏との出会いから、韓氏意拳を学び始めた著者が、稽古の日々から思索を辿る。
全面的に改訂を行い、光岡氏との対談などを新たに収録した新装増補版。
著者より一言
デビュー作です。最初の版元から出版した際の装丁を担当した友人が原稿を読んで、「あなた、読者のことまったく考えてないでしょ?」と言われ、そういえばそうだったと気づきました。ある意味で読者は置いてけぼりです。韓氏意拳という中国武術に流れ込んだ中国の歴史、哲学、思想とそれが私たちの身体に及ぼす変化について微に入り細を穿って、要はしつこく書いています。