私の心が横に揺れるとき
2022年07月04日
言語なき合意とは、権力に強いられた場合でしか成立しないと疑いなく思うとき、私たちは身振りを、振る舞いを理解しなくなるだろう。

たとえ映画や演劇でそれを見聞きし、感動に咽び泣いたところで、それはもう傍観であって、そのような身体として生きているということが信じられないのだ。 言語の外で行われる合意は、生きていること自体が燃え盛る。あるいは静けさがもたらす凛然が我が身に透る中で行われる。それらが過ぎ去った後では、確認できないことではある。

その喪失は、人間である限り絶えなければならない事実でもあるだろう。

暴力を遠ざけるために持ち出された合意の言葉であっても、そのときには伝達と指示と威嚇のために言葉は専ら用いられるという別の暴力を招き寄せている。

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