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私の心が横に揺れるとき
2022年09月20日
先日、岡山の長島愛生園を訪れた。言わずと知れたハンセン病療養所だ。 往時は癩病と呼ばれ、遺伝すると思われていたため、政府は罹患した人を隔離する方策を取っていた。 戦後、もはや遺伝病ではないとわかっていたが、そのまま隔離収容をやめず、断種も行っていた。 歴史館の資料コーナーには、患者が作ったという島のジオラマがあり、そこに「自殺場所」と記されていた。穏やかな瀬戸内の海にも陰影はある。 元患者でいまも島に住む方と食事をした。かつては実家に里帰りをしたこともある。その際、近隣の人が彼に会いにきた際、昔とほとんど変わり映えしない姿に少々拍子抜けした態度を見せたという。 ハンセン病といえば顔面が崩れ、四肢が変形するなど、異形になることへの恐れと、それがために業病と言われ、忌み嫌われた。ところが、その方は頬を含む唇のあたりがほんの少し垂れているだけで、後遺症として軽微だった。それでも親は彼が戻ることを諒としなかった。それは周囲の目を気にしてのことだったろう。 内心では、息子を迎えたかったかもしれない。だが世間との板挟みでそうはできなかったのだろう。その葛藤に人は共感を覚えるのかもしれない。 彼は親の感情に出会えなかった。親の葛藤を理解するという役割を果たすほかなかった。 人それぞれの人生であるから、そのことについてはどうも思いはしない。事実としてそれがもたらす重さが陽光のさす島に独特の翳りを与えていた。 理解不能なものを前にしたとき、恐れをそのまま放置していては、葛藤を生きることが人生になってしまう。 怖れは、感じたことに思いを重ねさせる。もしくは感じない、感じようとしないことに傾注させる。どちも真摯さに欠けるのではないかと、長島を後にして1ヶ月半ほど経ち、いまようやく思うようになった。 理解不能なものを前にしたときの私たちの振る舞いについて。 素朴であることは私たちの無垢さをなんら約束しない。

インタビューセッション

インタビューセッションとは?

私たちが生きていく中で問題だと思い、解決を望んでいること。でも、実はそれは問題ではないかもしれない。

インタビューセッションは、世の中が勧める解決策ではなく、あなた自身で問題そのものを解消させるための時間です。本来備えているはずの明晰さを求める場です。

セッションで必要なのは、ただ話をすることです。私はただそれを聞きます。意味を伝えようとする努力は要りません。ただ感じていること、思っていることを声にするだけでいいです。

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