「逆ハンスト 焼肉プロテスト〜聴け魂の地獄突き!」の具体的内容は、大学内を行く学生や教授、大学関係者に焼肉を食べてもらいつつ、「学内にこんな酷い落書きがあって、脅迫電話もありますねん。どない思います?」と語り合う場を設けることで、ようは肉を食べながらおしゃべりするというだけの、何の思想性もない、徹底してくだらない内容にしようと考えた。
どれだけの肉を用意すれば見当もつかなかったが、とりあえず20キロほど買うことにし、フライヤーは3000枚刷ることにした。
といっても、当時は肉のハナマサもなければ、格安で印刷できるところもなく、それなりにお金はかかる。そこで教授陣を中心にカンパを募ることにした。
まず訪ったのはI教授だった。5年間の在籍中にただの一度も欠席しなかったのは、I教授の社会地理学のみで、僕はこの講義でI・ウォーラステインの世界システム論の概要を学ぶことができた。
「なぜ開発途上国にスラムができるのか」
「なぜイギリスやフランス、ドイツの都市で住居の非合法占拠が行われるようになったか」
「なぜ尼崎の空はきれいになって、マレーシアの空は汚れ始めたのか」といった問題について知ることができ、おかげで僕の目からは大量の鱗が落ちた。
講義後、I教授にフライヤーを渡したところ一読された後、財布から1万円を取り出して、「がんばって」と言ってくださった。
教授たちには、企画内容はおおむね好評でカンパはスムーズに目標金額に達し、その資金で印刷したフライヤーを大学内で巻き始めたところ「肉がただで食べられるから行こう」という声を直接、間接に聞き、ちょっとうれしかった。
何の問題でもそうだけど、いちばん難しいのは無関心な人に興味を抱いてもらうことで、そういう人にとっては落書きなんて「壁に書かれた汚れ」くらいにしか映らないかもしれない。
実際、落書きを横目で見ながら「なんかすごく汚いね」と言いつつ通り過ぎた人もいた。書かれている内容には関心が向かないのだ。
きれい・汚いの反復でしか書き殴られた文字を見ていない人に、その層で受け取っている意味から離陸してもらうには、(つд⊂)ゴシゴシ といった具合に改めて目を凝らして見る経験が必要で、それには主体的に見る眼差しで自然と関わってもらうしかない。
前のめりになって問題と向きあえ!という必要はないけれど、少なくとも壁やエレベーターに書かれた文字を読むには、「あれはなんだろ?」「いったい何が書かれているんだろう?」と爪先に体重をほんの少しかけてもらわないといけない。
たぶんそれは「人権」といった言葉を高空からその人めがけて降らせるよりも、生身の人間がそこにいるという事実を体験してもらう以上の説明の仕方はないんじゃないか。だから、勘違いで来てくれる人が多いことを僕は期待した。
迎えた当日、あいにくの小雨だったが客の入りはまあまあだった。企画主催は朝鮮文化研会だったけれど、メンバーは3人しかおらず、実際に肉を焼いたり、実務的な作業を行なってくれたのは、僕の日本人の友だちだった。「おもしろそうだから」という理由で手伝ってくれたことが何よりうれしかった。
能書きや御託を並べるよりも、そういう目配せに呼応するような感覚のほうが面倒臭い現実をいち早くパスできそうな気がする。
午後早くに肉はなくなってしまった。雨の中、300人は集まったろうか。体育会系の学生らが肉を頬張りながら「そんな問題があったんすか。ひどいな」と、何かのひっかかりを覚えてくれたことが印象的だった。
おしゃれなキャンパスに似合わない、もうもうと煙が立ち込める中、僕はどういう経緯で知ったかやって来た朝日・毎日・読売新聞の記者の取材を受けていた。
記者の皆さんは「不当な差別に抗議する」とかマジメな内容を聞きたがっていたようだけど、申し訳ないくらいに期待と外れた返答ばかりしていたような気がする。
唯一僕が覚えているやり取りは、「これをとば口に学長の姿勢が変わるといいんですけどね」と読売の記者に言ったところ「とば口ってなんですか?」と質問されたことだけだ。
その夜は友人たちと痛飲泥酔し、翌朝「どうせ三行くらいのベタ記事だろう」と思って新聞三紙を求めて見たら、地方版とは言え、写真入りで掲載されていて驚いた。