以前、父が恋人を連れてき、同棲が始まった話を書いたが、ようやく結婚式をあげる次第となった。
新郎53歳、新婦28歳。「若い身空でこのような選択をして本当にいいのかな?」と、継母と6歳しか違わぬ息子はそう思いはしたが、ふたりさえ幸せならば他人がとやかくいうことではないかと思い、結婚式に参列した。
僕が座ったテーブルには隣家のドイツ人、クライバウムさんがおり、彼女は亡母とたいそう仲がよかった。
父がスピーチで「これからはふたりで新しい未来を築いていきます」というありがちな言葉で締めくくった際、クライバウムさんは不機嫌そうな顔をし、押し黙った。
式が終わり、先に家へ帰ろうとホテルの会場の扉を出るや、クライバウムさんは僕の肩をぐいと掴んで振り向かせると「あなたの父はなぜ“これから”のことばかり話し、“これまで”について語らないのか。あなたの亡くなったお母さんについても触れるべきではないのか?」と腰に手をあて、まくし立てた。
だからといって僕からの返答を特に待っていたわけではなさそうで、言いたいことを言うと踵を返し、猛然と去っていった。
ドイツの硬水を飲んで育っただけに骨太な体躯で、それが憤然とした様子で歩いているものだから、いつも付け過ぎじゃないかと感じてしまう香水の残り香がその時ばかりは、馬が駆けていった後に立ち込める土煙のように感じた。
僕は「だって仕方ないじゃないか」と肩をすくめるしかなかった。
それから数ヶ月経ったある日、僕は父に「話がある」と言われた。
我が家の伝統として「話がある」と言われたら、和室で正座して向かい合うのが流儀なのだが、どうやらその儀式を父は親子の対話だと思っているらしく、上意下達だとは夢にも感じていないようだ。
ともあれ、呼び出されたもののいつものような怒りの予震めいたものがこちらに伝わって来ない。はて?と思っていたところ、父に珍しくおずおずとした調子で切り出した。「おまえに弟ができた」と。「それはよかったね」。
そう伝えると何やらうれしそうに続けて言う。
「ありがとう。俺はなおまえたちの子育てには失敗したけれど、こんどは失敗しないようにがんばるよ」。
失敗って言っちゃったよ、この人。僕は爆笑するのを堪えるのに必死だった。なんでこんなにおもしろいことをマジメな顔で言うんだろう。そう思うと、笑いが波止場を洗う波のように押し寄せる。
ふつうだったら親に「失敗」と言われて傷ついたりするのかもしれないけれど、そういうところを拾い上げて傷つく感性が僕にはないらしく、「確かに親の期待通りに育っていないし。そりゃ失敗かもしれない」とむしろ思ったりした。
でも、とにかく「失敗」というフレーズを息子に言ってしまうセンスに、父らしいというにはトンチンカン過ぎる、それを素直と呼ぶには暴力的過ぎるありように、僕は笑うしかなかった。
そのときの弟ももう18歳になった。
先日、実家に帰った際、母に聞くところでは、弟を指して「あいつはデキが悪い。兄たちのほうがよかった」と言ったらしい。
うん、何も進歩しとらんな。