恋しちゃったんだ、たぶん気づいてないでしょ

自叙帖 100%コークス

就職活動も終わり、卒業まで半年を残すばかりとなった頃、僕は一目惚れをしてしまった。
胸焼けとは違う、この痛みは「そう、これは恋」とある日思ってしまったのだ。

当年、42のおっさんが口にすることに気色悪さを覚える諸兄姉も、いまの僕を想像するから嚥下できぬつかえを感じるのであって、ここはひとつ23歳の、ほうれい線など絶無の、シャワー浴びたら水弾きまくりの男子を念頭に置いていただきたい。(あと、前置きとして言いたいのは、「昔の彼女のことを忘れられない」みたいな話として受け取られたら、たんに気持ち悪い話なんで、そういうつもりじゃないんです)

初めて付き合った人とは1年半後に、次の恋人とは2年ばかりで別れた後、しばらく「もう恋なんてしない…」などと思って1年ほど経っていたが、彼女に会って、「なんて言わないよ絶対」と後段の部分を歌い出したい心持ちになってしまった。

大学の帰りに西宮北口駅のレンタルビデオ店でたまに映画を借りていたが、大学生ともなれば当然押さえておくべき銘柄など知らず、「ポリスアカデミー」や「Mr.BOO!」とか、まあくだらないものばかりを借りていた。

久方ぶりにビデオを借りに行ったら、その人がいた。ボーダーに赤いスカーフを首に巻いてのオリーブ系で、小西真奈美に似た人を前にしたとき、僕の頭の中で「世界を止めて」が流れてしまった。当世風で言うならゴム版の「CHE.R.RY」だろう。

そんなもので、その人の前で「五福星」とか「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」とか借りている場合じゃなくて、なんか、そう「映画が好きなんです」アピールするよなものを借りなくちゃだわと思い、それからというもの僕は「8 1/2」とか「気狂いピエロ」「エル・ポト」「ガルシアの首」だの「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」だの、よくわからないけれどアピール力がありそうな作品を借りまくるという訳の分からない手に訴えた。

たぶん稚拙ながら匂いを醸し出したかったのだ。

借りればそれだけあの子に会える回数が増えるというものだわという魂胆からなのだが、それはそれとして、ほとんど映画を観たことがない僕だったが、不純な動機からとはいえ、この期間にタルコフスキー「ノスタルジア」と出会えたことは本当によかったと思っている。いまだにいちばん好きな作品だ。

そんなこんなで年の瀬を迎えた頃、いつものようにカウンターにビデオを差し出したところ「映画が好きなんですね」と言い、「よかったらこれどうぞ」とカレンダーをくれた。

冷静に考えれば店の用意したカレンダーであり、“至って極普通の会話”なのだが、中2病を患っている男にとっては、「好きなんですね好きなんですね好きなんですね」とエコーがかかって脳裏に響き、それが特別な意味合いをもって眺められるようになる。

「あれ、ひょっとして気があるんじゃね?」という脳内転換というやつだ。

「千丈の堤も蟻の一穴」という蟻の這い出る穴で立派な堤も崩れるという意味だが、どこにもない一穴を勝手に妄想して、この現実を突破できるんじゃないかと思えるのが中2病の最たるもので、その最右翼に位置した。

年が明けて、卒業まで3ヶ月。悔いのない人生を生きよう。たかだ声をかけるくらいにそのような決意をした朝、出立。

花道を引っ込む飛び六方!

ビデオを返し、「ありがとうございました」と彼女に言われ、用意したセリフを言おうと思ったがアワワという音が漏れるだけで、言葉にならず。そのまま退く。

しばらく店の回りをうろうろと。貴様の覚悟とはそれほどのものか!と己を叱咤し、今度は堅忍不抜の覚悟で再び入店。つかつかとまっしぐらにカウンターへ。不穏な気配を感じたか、彼女たじろぐ。

おもむろに「珈琲一杯飲む時間でかまわないので、僕とお話してもらえませんか」と真っ向から切り出すや、彼女すかさず「私、彼氏いるんですけど」。

僕は飛び六方で退店した。