巻頭言

サイトについて

名もなき徒輩が身の丈を超えて、当世流行のセルフブランディングなぞを行おうというのが当初の試みでした。
その蛮勇さはどこから来たかといえば、現状の出版界のスケールの中に収まって仕事をしていては、いずれ袋小路に陥るという考えがあったからです。

しかし、いまは自分一個のたつきを考えるだけではない、大言壮語すれば、生き方の可能性を粘り強く考え、探るサイトとしてスタートしたいと思っています。

2011年3月11日を境に、これまでの日常を支えていた確からしさが崩れ落ちて行くさまを目の当たりにしました。この先も意識の及ばないところで、さまざまな変化が起こるのではないか。そんな予感を抱いています。

変容の全貌はうかがえません。しかし、確実にこれからは「今まで通り」の暮らしはできなくなるでしょう。働くこと生きること。それぞれが模索しなくてはならない時代の到来を誰しもどこかで感じているはずです。

私の関わっている出版メディアも従来のような苦境への弥縫策では間に合わない、これまでの物差しがあまり役立たない領域に差し掛かっていくと思われます。
そのような事態を迎えるのは出版界に限らないでしょう。いずれにしても生の様式が変わらざるをえません。

大海原をどう乗り切ればよいか。喫緊の課題であっても誰も経験したことがない。そこに正解を求めても、そもそも手に入りはしないでしょう。

指標はない。ただ、ひとつ確かなことは、人が生きている空間は、人の思惑で構成された現実より広大だということです。
既成の思惑を寄せ集め、その辻褄を合わせて解答を算出してもいっそう迷うか、あるいは答めいた答が得られるだけでしょう。それは星を見ることなく、星を指さす手の角度をあれこれ吟味することにも似ています。
必要なのは、かつて船乗りが北極星に導かれたような星の航海術かもしれません。未知への船出を可能にする術。

一寸先は闇というとき、闇は未知であり、恐怖の対象です。けれども既知に頼るから未知がいたずらに怖くなるのかもしれません。

暗闇の中に放り込まれると、人は誰に教わらずとも腰を屈め、手を前に伸ばします。未知の域にさしかかるとき、人は既知に頼らずとも身体の形態を自然と変え、手に触れる初めてのものを通じ、世界を知ろうとします。そのとき知は真に世界と等しくなる。

恐る恐るの歩みの中であっても、何か新しいことを始める中で開ける風景があるはず。その可能性を信じたい。このサイトもそういう試みでありたいと思います。

2011年5月
尹雄大


ワーキングポリシー

サイトについて

【目指すもの】
文章を通じて、取材対象者の発想や考え方が立体的に浮かび上がるような記事を作成します。
インタビューを軸にウェブや書籍、雑誌媒体で記事の作成と編集構成を行います。
書籍では、宗教家や企業のイノベーター、戦災にあわれた方など専門的な知見をもつ、あるいは特殊な経験をしているものの、本にまとめる余裕のない人に代わり、構成を考案し、文章にまとめています。

【専門領域】
インタビュー記事の作成における得意分野は、アカデミズムの領域です。これまで数学から社会学、金融、文学といった専門家にインタビューを行ってきました。
学術的な知見を理解するには、段階を踏まえることが必要ですが、限られた字数の中で読者が腑に落ちるような構成を心がけています。
その上で、読み手の理解に引きつけてしまうことなく、瞠目という経験がもたらされるような文の運びとなるよう留意しています。
書籍や雑誌では、ストレートな綴り方よりも資料を読み込みつつ、じっくり話を聞き、観点を構築した上で文章にまとめることを身上としています。
また武術研究家の甲野善紀師範のもとで剣術や体術を、現在では中国武術の韓氏意拳を学んでおり、そういった経緯から身体と意識、ジェンダーの問題に関心をもっています。なお、身体性に関する考察の一端として『FLOW 韓氏意拳の哲学』を2006年に出版しました。

【創発的な視点が得られる文章づくり】
過去の仕事を例にあげれば、叙情的に語られがちだった桑田真澄投手の復活の軌跡を身体論に徹してまとめ、また角界における外国人力士台頭の理由を「ハングリー精神の欠如」といった定番の物語に求めず、日本人の身体の変容をうながす社会背景の変化から捉えるなど、単線の理解に落とし込めないはずの現実の豊かさを損ねることなく把握するよう努めてきました。
出来合いの物語に現象を落とし込む安易さに逃げるのではなく、読後に読み手の類推が働き続けるような文章を心がけています。
また、ビジネスの組織論や技術論においても、たんにノウハウの開陳ではなく、その背景にある発想や視点に留意し、形骸化した知識の伝達にならないよう工夫しています。
アカデミズムであれビジネスであれ、あるいは人物ルポであれ、事象を取り上げる際に心がけているのは、取材対象者が何か行動する、選び取るにあたっての動機への類推と、たたずまいや心情の振れ幅、陰影、哀歓といった機微を合わせて描くことです。

【生産性の指標】
どのような分野であれすぐれた見解と実力を備えている人たちは、各人なりのサクセスストーリーやそれを可能にしたノウハウをもっています。
そういう人に「どのようにして成功したのか?」といった、これまでの道のりや成功の秘訣を訊くことは定石ではある一方、安易だとも思います。
何より取材をされる側も同様のことを他の機会に尋ねられているはずで、飽いているはずです。
だから、ただ記憶を再生すればいいような内容を聞くというのは、相手に退屈を強いることでもあります。できるだけインタビューイがその場で初めて思いを馳せるような質問をしたいと考えています。
もしも無味乾燥な質問のやり取りと、話した内容に正確ではあっても、何の抑揚も陰影もない平板な過去の再現に忠実な文章にまとめたのであれば、インタビューイに提供していただいた時間は何も生んでいないに等しいでしょう。互いに二度と会うこともないのであれば、できればまみえる時間は生産的でありたいところです。
不思議なもので、切り出しが「はじめまして」という変哲のない言葉であっても、人によっては、その一言で相手の心を開いてしまいます。そういう現象が取材の場に置いて立ち上がれば、その時間は生産的だと思います。
「はじめまして」に特別に付された意味はありませんが、確実に何かが互いの間で生まれ、共有されています。
両者のあいだに生じた言葉が思わぬ化学変化を促すとき、言葉のやり取りは、尋ねる/尋ねられるという関係を離れて、その場でしか起きない一回性の出来事をはらみ始めます。
そのようなはからずも舞い降りる豊かな何かを現出させるような取材を行い、文章を書く。そういう仕事をしたいと考えています。