カプチーノはございません

自叙帖 100%コークス

「ぼくは二十歳だった。それが人の一生で一番美しい季節などとは誰にも言わせない」ポール・ニザン

青春ノイローゼという病が膏肓に入る前に僕は大学を休学することにした。
人と話すことができなくなっていたので、どうにか人と話ができるようにリハビリを試みることにし、そこでバイトを始めることにした。

恥ずかしい話だが、それまで僕は家業の手伝いでお金を貰うことはあっても、バイトというものをしたことがない。

「生活費を渡すからそれで金の遣い方を学べ。学生の本分は学業であるからして、バイトは罷りならぬ」というオヤジの教育方針があり、月に10から20万の金を貰っていたが、それに唯々諾々としているにも飽いた。ようやっと反抗期が訪れたのだ。

バイトデビューは神戸の繁華街、三宮にあるドトールだった。コーヒーが好きだという単純な理由による選択だった。
ほぼ同時に入店した中に現、ドトールコーヒー社長の鳥羽さんがいた。たしか同年齢で物静かな人だった。

7時の開店前に掃除を終えた後、スタッフにはコーヒー一杯が振舞われるが、30代前半の店長の未来の社長への教育と気遣いのはざまで揺れ動く様子を、「次代を担う人を指導するという立場も大変だなぁ」とコーヒーを啜りながら安閑として傍視できたのは、僕の役回りが掃除とコーヒーカップや皿を洗うという仕事だけだったからだ。

幼い頃から掃除、洗濯、アイロン等々、ひと通りの家事はやっていたし、中でも掃除は好きだったので、店内で取り立てて客と言葉を交わすこともなく、ひとり黙々と洗浄に勤しむことは性に合っていた。
コミュニケーションのために、という発願があっさり蔑ろにされているが、自分が必要とされる仕事をすることができる幸せは、自分の気持ちの安定の上では有益だった。

カウンターの奥の洗浄機の据え付けられた狭い空間に運び込まれる汚れた食器をひたすらきれいにしていく。その行程をたったひとりで見届ける仕事に至極満悦していた。

そんな上々な気分もそう長くは続かず、2週間も経つと飲食に携わることになった。

店長は知らなかったのだ。僕は同時にふたつのことをこなすことが相当程度できないことを。
アホの子レベルというか。ものすごく性能の悪いターミネーターというか。「いまどきのルンバでももうちょっといい仕事するで」というレベルなのだ。

ミラノサンドとホットドッグのパンをオーブンに入れつつ、カフェオレとブレンドを同時並列につくるなどという芸当を試みようとすれば、たちまち眉間にシワがよって目が寄り、瞼がしぱたしぱたする。
緊張から来る小心さ故だが、記者会見時の石原慎太郎並に目をしぱたかせる。

いまでは機械は進化したが、当時カフェオレはカップに注いだミルクにノズルを入れて泡立てつつ沸騰させねばならず、その際、うまく温めることができないと、ギュオーンという爆音とともにミルクがボコボコと無惨に溢れかえる。

そのギュオーン&ボコボコの不調法なコール&レスポンスを一日に何度もやらかし、ミラノサンドを盛大に焦がし続けた。

ミダス王は触れるものをすべて金に換えたというが、僕はマニュアル通りであれば円滑に進むはずのサービスの間隙を縫っては、ことごとく不調和を創造し続けた。

たぶん店長はいらついたことだろう。
僕は僕で己の不甲斐なさを情けなく思い、「はやく練度を上げなくては」という思いはあったのだが、それと同時に素直に仕事に順応することを妨げるようなひっかかりを接客マニュアルに感じて、努力の方向性というものをどこに定めればいいのかだんだんわからなくなってきた。

能書き垂れる暇があったら黙ってやればいいということを理解しつつ、ひっかかることを止めることができない。できれば誰かに止めて欲しかった。

たとえば、客が飲んだカップなどを下げると店員は「恐れ入ります」と言う。そう言わなくてはならなかった。たぶんいまもそうだ。

がしかしだ。セルフサービスを前提にしているのだから、客が自ら食べたものをさげるのは当然の行為だ。
恐れ入るということは、「本来ならば私どもがしなくてはならないのですが」という理屈だろうが、まさかその考えを実行するでなく、ただ言い訳として用いるのは客に失礼だろう。便宜的にへりくだりはしても、これでは客を上げてるのか下げてるのかわからない。

だから「恐れ入ります」と口にするたびに「恐れ入るんやったら、最初から己が持って来いや」と、僕の脳内に住まう想定上の客が和音のように「恐れ入ります」にかぶせて言いそうで困った。(いまにして思えば完全に神経症だろう)

また、朝の9時くらいまでは、「職場に向かう客が多かろう」ということで、送り出す際に「お仕事、行ってらっしゃいませ」と言わなくてならなかった。
それも僕の妄想の中では、声をかけた相手がくるりと振り返り、「俺がどこに行くんか知ってんのか?」と言いかねないような、お節介な言葉に思えてならなかった。

人から見ればどうでもいいことなんだが、僕はどうしてもそういうことが気になって気になって仕方ない。人と話ができるようにとのリハビリで始めたバイトだが、さらにしゃべることができなくなってきた。

その合間にも僕はミラノサンドを焦がし続け、カフェオレ製造にしくじり続けた。
「これ以上迷惑はかけられない。潮時かもしれんな」。バイトを始めて1ヶ月半でそう思った。

今日が最後だと思い定めた日、午後の忙しい時間帯にイタリア人と思しき男性が来店した。
小柄で口ひげを生やした彼が女性スタッフに英語で話しかけた。「カプチーノはあるかい?」と。

カウンターの彼女は「え?」と言ったきり、フリーズしてしまった。

彼女の隣で、今日も今日とてミラノサンドを焦がしていた僕は、焼けたパンを片手にずいと乗り出した。

sorry,we have no cappuccino.

そう言うと、彼は「そうかい。わかった」と言って、笑顔を浮かべて去っていった。

僕がドトールで唯一貢献できた瞬間だった。