隙だらけのカモ

自叙帖 100%コークス

伊丹空港まで見送りにきた母親は、なぜかいまどき懐かしい金平糖の詰まった袋を僕に渡すとこう言った。

「インドって貧しい子どもたちが多いんでしょ?こういうのあげると喜ぶんじゃない?」

彼女はとても無邪気な人で、心からそう思って言ったのだ。
だが当時の僕はある種の素朴な善意というものをイノセントがゆえの悪意としてしか受け取れない、ものすごく誤訳の多い変換能力しかもちえない時期だったので、空港内に入った途端、「アホか!」と金平糖をゴミ箱に突っ込んで捨ててしまった。
いまにして思えば悪いことをしたなと思う。

若い頃には誰しも存在と認識の問題にぶち当たる。
つまり、「私はなぜ存在しているのか」「存在するとはどういうことか?」。

タイで見聞した事柄は市場の力で撫で斬りにされて自活する能力を失った人たちや自分たちの生活様式を逼迫するシステムに同調しようとする人たちの姿であり、もっとも困惑したのは、貧困を強いられる人と貧困を強いるゲームに積極的に参加することで貧困から脱しようとする人とが同じプレイヤーであったことだ。そして、そのゲームに僕も参加しており、たまさか時流にのってゲームに勝っていた国に生まれ育った。

なぜ僕が日本に生まれて、ラフ族の彼や農村の彼女はそうではなかったかのか。「親がそれぞれの国に生まれたから」という答えでは満足できるはずもない。

それぞれの存在がなぜそういう境遇のもとで生まれ、生きなければならないのか。
運命というものが予め決定づけられているのであれば、人の存在に自由も選択もありえないのではないか。

直感的にこの問題について、万巻の書を読んだところで答えを得られるはずもないとわかった。何か体感を通じてほか迫ることはできないだろう。しかし、いったい何を体感すればいいのか。皆目見当がつかなかった。

存在の問題に身体を通して取り組むために格闘技や武道を選んだわけだが、そう言うと訝しく思う人もいる。むしろ哲学や宗教を学ぶべきではないかと。

自分に対する相手は、決して自分の思惑通りに動かず、それが自分に肉体的に心理的な脅威として迫ってくるとは、ある種の運命のようなもので、では、差し迫った状況の中であっても、自分の存在を保てるか。自由に主体的に行動できるか。それが如実に問われる瞬間が武にはあるはずだと思っての選択だった。

だからといって短日月のうちに自分の望むような答えが得られるわけもない。もっと自分を動揺させ、変化させるような経験が必要だ。安易だとは思いはしたものの、旅に出ることにしたわけだ。

それにしても旅の前に読むのは、『インドでわしも考えた』とか『河童が覗いたインド』くらいにしておくべきだった。
ただでさえ生真面目になっている頃に『印度放浪』なんて読んだものだから、「この旅で生きることの意味なり存在の意義について何か自分なりの答えというものがつかめなかったら、死ぬしかないんじゃないか。路傍で犬にでも食われるほかないのではないか」と思いつめてしまった。

当人は求道者よろしく眉間に皺寄せて始まった旅だったが、インド人からすれば、僕に関する景色は「なんか硬直した感じでコミュニケーション能力低そう」でしかなかったようだ。

ようは隙だらけのカモだった。

思いつめるとは、直線的な思考しかできなくなるということだ。
直線的な思考は、的を射にかかってのことだが、そこで忘れられているのが、的は自分の思い描いたところにないという事実で、したがって百発すれば必ず外れる。

そして単線的な思考は外に出力される際、つまり身体上の表情には、含みも奥行きもない佇まいとしてあらわれる。

そうなると分かる人には「こいつは浅い反応しか返さないな」ということが手に取るようにわかるので、そういう類の人間を特定の状況に巻き込んで、思い通りにコントロールすることなど造作も無いことだ。

深夜にデリーの空港についた僕はまさにその状態で、出会ったばかりのインド人に「おまえの泊まろうと思っているホテルはもう営業していない」「あいつはおまえを騙そうとしているから、おれに任せろ」と、ことごとく手玉にとられ、わずかな距離をタクシーで移動するに10ドルもとられ、ホテルは30ドル近い料金を請求されと、景気のいい時代のパチンコ台かというくらい、出血大サービス状態のフィーバーだった。

「もっと人との柔軟なやり取りを学んでおくべきだった。ドトールとかで」と思ったところで、すでに遅い。インドでの災難の歯車はすでに回り始めた。