西荻窪へ

雑報 星の航海術

千駄木に住んで8年になる。
その前は歌舞伎町に3ヶ月くらいいた。

歌舞伎町に越すまでは、江戸川区は平井という(誰も知らないであろう)土地で2年あまり過ごした。
海抜ゼロメートル地帯の、このそよとも風の吹かぬ街での、魂の削られるような暮らしを、かつてある出版社のウェブサイトで「平井苦力伝」というタイトルのもと一年あまり綴ったことがある。

綴ったというより終始罵倒していたというほうが正確だ。

たしかに越した当初は森茉莉よろしく貧乏贅沢ごっこに精を出し、街の光景の見立てに勤しんだ。

が数日で挫折した。コンビニとアコムとパチンコとマクドナルド。快適な現代生活を送る上では何の不足もない。すべてそろっているが徹底的になんにもない。

おまけに和食の店の看板が蛍光イエローみたいな色というような奇抜なセンスが街を特徴づけており、そういう景色がそこかしこに見て取れてしまっては、その暮らしのなりたち到底理解しがたく、僕の脳内のシナプスは接続を拒否し続けた。そんな2年だった。

生まれも育ちも平井の友人は、僕が連載中に書いた「この街には外部がない」に衝撃を受けたらしく、のちに区議会議員に立候補した。いまは街に文化を醸成すべく、現在、二期目の議員として活動している。

それはともかく。

平井のアパートの更新が近づき、「これ以上はもうここに住めない」と思ったものの、次に住むところが遅々として決まらない。そこで知人のライターさんの事務所を間借りすることとなった。

それがまた歌舞伎町の通称「ヤクザマンション」と言われるところで、『殺し屋イチ』のモデルとなったマンションだった。

統計をとったわけではなく、(とれるわけもないが)体感としては、住人の9割はヤクザ、あとの1割は娼婦のお姉さんだった。越す前はそんなところだとは知らなかったが、行く場のない身としては、とりあえず慣れるしかなかった。

マンション内で会った人には、一面識もない人であっても、とりあえず大きな声で「おはようございます!」と体育会系か和民の店員のノリで挨拶した。中には「おぅ」と返してくれる人もいたが、基本は和やかな対応は期待できない。数が月前に非常階段の踊り場で発砲事件があったと耳にしていたので、緊張感は募った。

ある朝、隣のドアをどんどん叩く音で目が覚めた。
あまり好奇心の赴くままに行動したらどんなとばっちりを受けるかわからない。ドアをほんの少し開けて様子をうかがうと、スーツ姿の男3人が拳でドアを叩いている。すわ抗争か?と思ったが、「東京地方裁判所の者です。いまから強制執行を行います」という言葉が聞こえた。とりあえずそっとドアをしめ、布団に潜り込んだ。その後、何が起きたのか知らない。

獰猛な鮫が回遊しているようなマンションであったが、管理人室には「暴力団追放」というポスターが堂々と貼られていて、とても奇妙な空間だった。
おもしろいけれど、長居するようなところでもないので、早々に退去した。

あれから8年。
千駄木に隣接する谷中、根津を加え、谷根千と呼ばれるここら一帯は、散策するにはいいところだ。

近年はミシュランに紹介されたこともあって外国からも人がよく訪れる。東京大空襲の影響をあまり被っていないことから路地にそこはかとなく江戸の匂いがかすかに残っているのも彼らの鼻孔をくすぐるのか。

古い寺町の面影だけでなく、カフェや雑貨なども充実しており、また惣菜や肉、パンといったここに住む人のための日常の食品もそろっており、とても暮らしやすい街だ。

このところ週末ともなれば各地からの観光客が非常に増え、それに従い街の色合いが観光に傾きがちな気配を感じる。良い悪いではないが、土地に根ざした固有の力が以前より軽減した感じがする。

街にとってはありきたりのことだが、訪れたものがそこに何かをうっかり見て取る。それが土地の魅力だろうと思う。しかし、期待されている像を見られる側がなぞり始めたら、感知されていた何かの力の衰退は必定だ。

好きな街だがいったん離れてみるのもいいのではないか。そう思って来年早々に越すことにした。

次の地は西荻窪。何が始まるのか楽しみだ。