デリーからシュリナガルへ

自叙帖 100%コークス

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

さて、前回までは深夜にインドに着いて、ぼったくりのホテルで一夜を過ごすはめになったくだりまでを書いたわけですが、朝起きて、オートリキシャで目指したのは、ニューデリーは格安ユースホテルの集まるパハールガンジだった。

乗り合わせた日本人のバックパッカーと知り合いになり、ふたりして宿を探すことにした。

互いにインドは初めて、目にする光景は雅趣ある言い方をすれば「ペルシャの市場にて」と言えなくもないが、身を取り囲むこの喧騒と阿鼻叫喚との違いがわからなかった。

とりわけ野良犬と野良牛、野良羊がうろつき、野良人間と称するほかない人間の群れが醸しだす、バイタリティとも不穏さとも称せられるような蠢き目の当たりにするにあたっては。

道端では腰巻を巻いた半裸の男が石鹸を身体に塗りたくり、水浴びをし、その脇で子どもが大便をひりだしている。
馬に鞭をくれつつ荷車を運ぶ男が恐らく「そこをどけ!」と大音声で呼ばわった先には、全身に瘤のできた男が這いずっている。

瘡蓋に覆われた犬が地にだらしなく寝そべり。肉屋の前では断たれたばかりの羊の頭が据え置かれ、じき蝿が群がる。

道路にどかりと腰を押し付けた牛を警官が棒で殴る。牛は億劫がって尾を振るばかり。

後にそういう打擲する光景を散見するが、牛はヒンドゥー教では神の使いであり、神聖な生き物だというのは表向きの話なのか、けっこうぞんざいに人間に扱われていた。
そして警官は牛を殴った警棒で、しばしば群衆を打ち据えていたが、牛と同様にためらいを見せるそぶりはなかった。

日本のように「あれを買え、これを買え」といった欲望を掻き立てるネオンや看板、「整列して乗車しろ」とか「車が曲がります」といった精神を眠らせ、摩滅させてしまうような情報は少ない。

が、欲望の原点にある生きることに関するあまりに剥き出しな、生の姿が圧倒的で、情報過多ゆえに目を開けていられない。

騒音という一塊の荒っぽい把握で耳を満たすことなく、かりに細かい音をいちいち追おうものなら、ただでさえ過剰な視覚からの情報と相まって、呼吸困難に陥りそうになる。

人間が環境から受け取る情報量は毎秒1100万ビットで、そのうち意識が処理できるのは40ビットだそうだ。
極寒の地で金属に素手で触れれば、皮膚がはがれてしまうように、処理できないが確実に40ビット以上の存在の気配みたいなものに気づいてしまって、そこにうかつに触れてはやられてしまう。

だから現地で出会ったばかりの僕らは、日本では考えられないくらいの早さで、関係を、親密さをなんとか取り結ぼうとした。互いが共有していた日本という地と日本語で確認できる世界観をあいだに挟むことで、この目前のカオスに対する構えとしようとしたのだと思う。

共同トイレ、共同シャワーの安宿を借りた2日ほどは表に出て食事をするだけでヘトヘトになったが、3日目くらいからは、手づかみでダールとチャパティを食べることも、排泄では左手で桶の水を注ぎつつ、右手で尻を拭うことにも慣れた。

カオスとしてしか把握できなかった現象も落ち着いてくるほどに、規則性を見いだせるようになる。
いくらデタラメな言葉を思いつきでしゃべることができたとしても、(たとえばハナモゲラ語で)ある程度の時間が経つとそこに周期的なパターンが見られることに似ているだろうか。

そもそも徹底的にランダムな行為しか生活になければ、インド人とて精神は四散し、日常を送ることなどかなわないだろう。

というより、カオスに見えたのは、日本で培ってきた文化体系という慣習から見てのことであり、慣習という「癖」からしたらインド人の振る舞いが混沌に見えただけで、だから実際に僕が経験したのは、自分の価値観の混乱を「カオス」と呼んだ出来事だった。

カオスに身を置くことは僕の青春ノイローゼの克服を主眼とする旅においてぜひともしなくてはならないことだった。

インドを訪ねた初日のように不安は心のうちのそこかしこで頭をもたげたが、いっそう恐れたのは、インドに来てまで新たな慣習に馴れ、自分の従来組み上げてきた意識が落ち着きを見せ、馴れ馴れしくしなだれかかるような、安心できるパターンを見出すことだった。

たった3日で何がわかるというものかと今にして思うが、この旅は自分の身が引き裂かれ、軟弱な精神が焼き切られてなんぼというテーマがあったので、インドに来たというのに「ここではないどこかへ」の思いを募るばかりだった。

だが人間はよくできたもので、そういう心性にはちょうど見合うような出来事が起こるものだ。

市場を歩いてたら旅行代理店のオヤジに声をかけられた。オヤジはいう。

「そこの若いの、ジャパニーズよ。インドへ来たからには、ぜひとも行かなくてはならない避暑地があるぞ」

僕はジャパニーズではないし。というか、そもそも春先でまだまだ寒いのに避暑地っていう勧め方はおかしいやろ。そう思ったものの、オヤジが見せたパンフレットには美しい湖とハウスボートに泊まれるとうたっている。その地はシュリナガルという。

湖に浮かべたボートに泊まる。物売りがしょっちゅう訪れる

初めて聞く街の名だったが、ここではないどこかでさえあればいい。僕は方途をシュリナガルに定めた。

後で知ったことには、パキスタン国境に近い紛争多発地域だということで、あまり行かないほうがいい場所だった。特に91年当時は。

そういうことも知らず、飛行機の窓から眼下にヒーマラーヤを眺めつつ、シュリナガルへ向かった。