カワイイものにつつまれて

雑報 星の航海術

最近、お気に入りの店があって、それは吉祥寺にあるネパール料理店sajiro cafeだ。

まずは店内の様子を見てみてくださいよ。

トイレの鏡に反転してsajiro cafeと映るようになってたり、トイレットペーパーにまでスタンプが押してあって、元オリーブっ子、クウネル野郎としてはキュンキュンしまくりなわけです。

こないだなんてとうとう我慢しきれなくなって、店長を呼び出し、「いったいどういう了見だ。いくらなんでもやりすぎだろう。こんなに悶えさせて!」と言いたくなったほど、僕としてはツボを押されまくっている。

そのうえ料理のほうもおいしくて(皿もかわいいんだ)、行くたびにやられちまう。店長もこれまたイケメンで「もうなんなの!」と言いたくなる。そんなカフェなのだ。

先日、勘定を払う段になり、「その皿はどこで売っているんですか?」と店員に尋ねた。そうして聞いた後でなんだか僕は自己嫌悪に陥った。

キッチンのレイアウトや照明、雑貨の使い方をしげしげと眺めているのは、今度越した先の部屋づくりの参考にしようとしているからなのだが、その一方で頭の中で膨らもうとする新しい生活への期待とやらを片端から打ち遣りたくなりもする。所詮は「売っているもの」を買うことで贖えるセンスであれば、なにほどのことがあろうと。

趣味のよい消費の仕方をまさかセンスがある、などと言うのかと、僕は僕自身に失笑したい気持ちになる。

嗚呼、こんな時代に「生活を充実させたい」「おしゃれに暮らしたい」などと思うのは狂気の沙汰だろう。そんなことにかまけていることなどありえない時代にそれを求めることは、現実を生きていないのと同じで、そうまでして虚構の花で暮らしを飾り立てることに意味なぞあるだろうか。

つり銭を貰うまでにそんなふうに思った。

購買品で埋める生活は最低限に。越した先はいまと違い日当たりがいい。ほんものの花を育て、咲かせたい。