西荻窪の松琴亭

雑報 星の航海術

LDKといった部屋の間取りの原型は炭鉱労働者向けの住宅だったと聞いたことがある。

炭鉱夫として効率よく働くための環境デザインとしてつくられた。
つまりは、外で労働を提供し、家では女性が食事とセックスを提供してくれるデザインというわけで、ちょっと堅い言い方をすれば、再生産労働に特化したモデルとしてつくられたというのだ。

真実かどうかはわからないが、さもありなんと思わせるだけの信憑性があるのは、高度経済成長期に企業で働く主たる労働者が男性で、それと対を成すのが主婦であり、その婚姻の形態をビルトインしたのが我が家というものであり、その家の間取りがLDKで仕切られたものだというのだから、「なるほど再生産労働に特化したモデルだといのもう頷ける話だわい」と思うわけだ。

一昨日、千駄木から西荻窪に越した。
部屋を探す際、日当たりがよく、風通しがよく、かつ畳部屋を備える物件を中心に考えた。LDKモデルの部屋だと、IKEAの家具を置いたって気にならないくらい広い部屋でない限り、圧迫感を覚える。10畳程度(約17平方m )くらいだと、目線の高さと奥行のバランスが悪く、そんな程度の広さなら和室のほうがローアングルなぶん、天井の高さも感じるし、空間を広く使える。そう考えてのことだった。

いろんな物件を見た。僕の貧寒な経済力を差し引いても、狭さもさることながら「それにつけても建具の貧しさよ」で、首都東京の経済を根底で支える暮らしの実相というものは所詮この程度のものなのかと思わされることが多かった。

僕が入居を決めた部屋も日当たりと風通し、和室はクリアーしていても、建具の薄っぺらさはいかんともしがたい。
僕はアルミサッシを見ると死にたくなる気分になるのだが、その次に嫌いなのがガラス障子で、いずれも和洋折衷の最悪の組み合わせではないかと密かに思っている。

で、そのガラス障子が越した部屋にあるわけです。この「眼下の敵」をどうするか。

ところで「強度ある妄想は現実を再構成する」ということを最近実感することが多く、構成のひとつの手段に「見立て」があると思うわけです。
歌舞伎なんかでは常套の手法だけど、歌舞伎という江戸期のサブカルチャーに必須の押さえておくべき些末さを含む教養みたいなのと切れている僕としては、せいぜい森茉莉のような「贅沢貧乏」みたいな世界に遊ぶことくらいしかできない。

でも、それだけじゃおもしろくないし芸がない。払底したセンスをほじくり返すうちに気になったのが、風呂とトイレのタイルの色の散りばめ方で、そこから市松模様を連想し、ガラス障子に青と白の障子紙を貼ることを思いついた。

そう、桂離宮の松琴亭のようにね。

近代以前にして、このモダンさ!

小学生の時、桂離宮に行きたかった。18歳未満は不可ということで泣く泣く断念した覚えがある。

とりわけ僕が見たかったのは松琴亭の襖だった。
この部屋に続く石も青が配されているというのだから、その心憎い演出にぐぬぬと悶えてしまう。

石も青と白の石の組み合わせになっている

僕はオリーブ野郎なので、かわいい路線も大好物だけれど、玄人の技に感電するのも大好きだ。
だから寒々としたこの部屋を「地獄に花を咲かしめよ」ではないが、見立てによってその相貌を美々しくしたいと思っている。

問題はその手のセンスが皆無だということだ。意匠に自信のある人がいたらぜひともお願いしたいところ。