洗濯機からの連想

雑報 星の航海術

千駄木から西荻窪に越して2週間あまり経った。
越した当初は寂寥感に襲われ、「嗚呼、この寄る辺なき魂の漂泊を如何せん」とひとりごちた夜もあった。

まぁ、ありていに言えば、「お家に帰りたい」というホームシックに襲われたわけだが、帰るべき故地があるわけでもなく。
要はまだ新居に慣れていないせいだ。そのように己に言い聞かせていたのだが、そうでもなかったことが最近わかった。

千駄木の部屋はワンルームマンションで11畳くらいの広さだった。蚊取り線香みたいな電気コンロにユニットバス。日当たりも風通しも悪い。ただし駅から歩いて3分と立地はよかった。総体的に住環境として良いのか悪いのか。判断つきかねる物件だった。

越した先は前と同じ家賃ながら2部屋と台所。風呂とトイレは別で日当たり良好、風通しもいい。
しかしながら、この風通しの良さはもとが木造のアパートであるからして、薄い扉に薄い壁という造りが然らしめたところといえる。

薄い扉にはサムターンまわしの防御など要らぬとばかりの潔い錠前と、それでも大家が防犯に気遣ったか、手づくりっぽい鍵が申し訳程度についており、いずれの造作にも「そもそも鍵を持つ意味があろうか?」と根本的な疑問が夏空の雲のように湧き立つ。

それはまだ笑えるからいい。
以前にも書いたが、僕はアルミサッシを見ると死にたくなってしまう気分になるのだが、それに加えて発見したのは、廊下に置かれた洗濯機を見ると、同じ気分になることだった。越してみてからわかったそれが寂寞とした思いの源泉だった。

安普請のアパートは水まわりの再構築に手が回らず、室内に洗濯機を置くことができない。
したがって住人は各々の洗濯機を扉の脇に置いている。

その景色に「動線が乱れる」とか何とか理屈はつけられるが、とりあえず見た目がダサいので絶対に洗濯機を置きたくない。
だから洗濯板と盥を買ったのだが、何も僕が天然生活系のロハスでクウネルな野郎だからではなく、「あくまでダサいことはしたくない」の一点からだ。

僕以外の住人がそれぞれ洗濯機を買って廊下に据え付けているわけだが、先日それらを見てふと思ったのは「みんなでひとつ買って、みんなで利用すればいいんじゃね?」ということだった。

その瞬間、壁や扉の薄さが違う意味を帯びて見え始めた。

住まうということがいつからか外との関係を断った内的な行為だと思われ始めた。扉を入った瞬間から完全にパッケージングされた空間で、人は不都合なノイズを遮断して過ごすことができる。

完全にパッケージングされたといっても宇宙ステーションのような自律性はなく、バカ高いコストを上乗せされたインフラに頼っている。

賃貸よりもいっそう自立した空間を欲した場合、家を買うのだろうが、これにしても大気圏外の住まいではありえない、鈍重で冗長性に満ちた技術でつくられた、固定的で壊れやすく脆い代物ときている。しかも30年だかのローンで生涯かけて購うわけだ。

せめて航空機なみの技術を応用した技術で家屋をつくればと思わないでもない。
だが、ただちに抜本的な変革を望むのは現実的ではない。

すでにあるものを活用して生きる智恵をブリコラージュというならば、ブリコルールたらんとすれば、現実を否定するのでもたんに肯定するのでもなく、独自の考察で生きる道を眼前の事実から発見しなくてはならない。

そう思い、洗濯機が廊下に置かれた光景を改めて見た。
そして思い浮かんだのは、住まいとそれに必要な機能の拡張だ。

洗濯機という機能を外部(廊下)に接続することが機能の拡張ではない。個別に洗濯機を買うというような非効率さを避け、シェアすることも局限された機能の拡張であり、生活の範囲を個に限定することなく広げたとき暮らしの足取りが軽やかになるのであれば、それも立派な拡張を促すテクノロジーだ。

住まうことの快適さは、部屋の内部をモノで埋めることで購えるわけではない。

洗濯機の共有を口にすれば、ただちにシェアハウスが連想されるかもしれない。しかし、シェアハウスに向けた改造を具体的に進めればシェアハウスになるのか。(「BRUTUS」がシェアハウスを特集していたが、シェアハウスはシェアハウス然とした物件に住めば叶うわけではないだろう)

むしろ無形の領域に目を凝らしたい。既にある有形のモノの意味を広げることで機能を拡張できるのではないか。

長屋は壁を共有した私的であり公的空間の入り混じった住まい方だと思うが、僕の住んでいるアパートの扉と壁の薄さに象徴された、外に対する敷居の低さを思ったとき、個人がパッケージング化された空間に住み続けることに固執せず、つながりの中で生きる空間に転用できるん可能性を指し示しているように思えてしまった。

とりあえず今の段階では、思いつきでしかないが、冷蔵庫を買わなくなったことの意味合いも、当初思っていた以上にありそうなので、空間の拡張については、もっと煮詰めて考えていきたい。