幻覚

自叙帖 100%コークス

これまで経験したことのない高熱と頭痛、歯の根が合わなくなるほどの悪寒でガタガタと震えた僕は毛布にくるまったまま放っておかれ、意識朦朧としていたことから時間の流れもわからず、一日くらい経ったと思えた頃、陽気なインド人の医師と看護師がやって来、開口一番「裸になって横臥しなさい」という。

熱でふらふらの身では、「え?」と気弱に問い返すのが関の山で、「いやはやそれは」と手を打ち振ってインフォームド・コンセントを求めるのも億劫だ。結局のところ、のろのろと服を脱いで横になる。すると医師は「恥ずかしいか?」とニヤリと笑うと、ぶっとい注射を腰骨に突き刺した。

腰骨の脇とかじゃなく腰骨そのものに針を突き立てられ、ゴリッという音が耳朶を打ったことから、さらに奥へと針が押し込まれたと見えた。この期に及んで、自分が何をされているのか理解していなかった。
日本に帰国してからわかったのは、このとき僕は髄液を抜かれる処置を施されていた。

何も説明されていない上に裸になるよう言われ、いきなり髄液を抜かれるという注文の多い料理店みたいな扱いを受けたが、抗議する気力もなく。というより、いっぺん髄液を抜かれたらわかると思うが、テキメンに気力、体力が下がる。

ボクシングや格闘技をかじった人ならわかるだろうが、顔を殴られると多少痛みがあっても、頭にカッと血がのぼって、「この野郎!」みたいな、相手に向かっていく上での発奮材料になりもするが、内臓を叩かれると途端に一切のやる気が蒸発し、「僕、もうおうちに帰りたいです」みたいな気分になる。髄液検査にはそれくらいの破壊力がある。

髄液を抜かれて以後、悪寒から一転、身の内が煮えたぎるように熱くなった。燃えるんじゃないかと思うくらいに。

あまりのことに看護師に「熱くてたまらない」と訴えたら、彼女は「わかった」というでもなく部屋を出、しばらくすると水でびっしゃびしゃに濡らし、一切絞りもしないデカいバスタオルを数枚もってくるや、おもむろに僕の身体に直接ビターンと張り付けた。その上で扇風機を回し始める。

しばらくすると当然ながら水が寝間着、シーツを濡らし不快な上に、異常に冷えてくる。再度、看護師を呼んで「寒いです」というと、「さっきは熱いって言ったくせに」とぷりぷり怒る。

看護師も医師もドアの扱いはドアらしく「ドン!」と勢いよく、明かりのスイッチのオンオフはそれにふさわしくバチッという音を鳴らさなくてはならない、と生真面目に思っているのか、すやすやと寝入っていてもドアの開閉音やスイッチを入れる音でいちいち目が覚める。

4人は入れるであろうけっこう広々とした病室の端っこにいた自分からすれば、ドアもスイッチも5メートル先くらいにあるのだが、おもしろいことに医師や看護師の立てる音とハッとして見たときの映像のズレが甚だしい。

遠くにあるなりの音として全然把握されておらず、ときに小さなドアノブが異様な大きさで眼の中に広がったりして、ちょうど「イージー・ライダー」に出てくる幻想的、というかLSDによる幻覚シーンそのものみたいに空間のねじれる感じが病室全体に行き渡っていた。

そういう感覚の変容も「そういうものだろう」と思うのみで、ひたすら毛布を巻きつけて寝るしかない。
激烈な熱が多少下がって高熱くらいになってからというもの、僕は毎日泣いていた。

帰国予定の飛行機ももう逸してしまい、行方しれずになってしまった自分だが、親に心配をかけているということは、あまり気にならず、それよりもインドくんだりまで来て、何も見つけることができず、こうして病院に入って、水を飲み、わずかに粥を啜り、点滴をうたれ、安閑と暮らしている身が悲しくなってきた。

路傍で痩せさらばえた姿で亡くなった人。手足がねじくれて直立できず、四足歩行しているがゆえに犬と見間違えた人のすれ違いざまにこちらを見たときの眼。手足がなく道を転げまわるようにして移動していた人、バクシーシを求めてわらわらと集まる蓬髪の子供たち。
生きる苦しみと老いる苦しみ、病の苦しみと死の苦しみ。あらゆるところで苦しみに縁取られた人の姿を見た。

生まれた瞬間から熱した鉄板の上で素足で立つよう宿命づけられ、炙られながら生きていくことが人生にほかならない。悲惨であることが決定されてしまっている生のありようというものがある。人はそれでも生きる意味があるのだ。本当にそうなのか。もし、そうなら悲惨さをどのように肯定したらいいのか。2ヶ月近く経とうとしているインドの旅路で皆目見当がつかなかった。

ただでさえボンクラな頭なのに、さらに熱ではっきりと考えることもできない。
だから泣くしかなかった。泣いていても無惨とわかっている生に意味があるのか?という問いが離れることはなく、それが脳内に収まっているのではなく、「イージー・ライダー」的幻想として、つまり病室内で問題というやつがとぐろを巻いて、曖昧ながらはっきりとした映像として知覚できた。
高熱がゆえの幻覚だったといえば、それまでだが、そいつはよくわからない形で地を這ったり、天井を飛んだりしているのだった。

熱で目が開けるのもしんどいときでも、僕はそいつを意識の片隅に捉えて、ふん縛ってやりたい気持ちだけは萎えていなかった。

日の陰りから夜の帳が落ちてきたことのわかったある日。入院から10日は過ぎていたろうか。

日課というか秒課というか絶えず頭を離れない、「この生老病死の苦と生きることをひしいでいくような、剥き出しの暴力だけが現実としか思えないような現世で、それでも存在することに意味があるのか?」に思いを凝らしていたときのことだ。

突如、ドンっという音が鳴り響き、僕を揺さぶった。音の源みたいなものが僕の頭頂を猛烈な勢いでこじ開けるような感覚を覚えたかと思うと、暗かった部屋に光源のはっきりしない光が行き渡った、そして、それから言葉が降ってきた。

「苦痛に身を開いて生きよ」

僕は号泣していたように思う。熱に浮かされ、無理な状態で脳を働かせ続けたがゆえの幻覚に過ぎないとしても、一切の迷いを晴らすような光が身を包んだ瞬間はたしかに僕にとってこの上ない現実だった。

翌日から熱が下がった。