帰国

自叙帖 100%コークス

バブル崩壊で実家が抵当に入りそうになった事情もあり、父が送金してくれたのは帰りの飛行機チケットのみで、到底入院費用の13万余に届かない。

僕は医者に頼み込んで、というか開き直って「無い袖は振れない」と言い、金銭的な交渉ごとにおいてことごとく敗退していたインドにおいて、初めて「じゃあおまえを信用するから日本に帰ったら必ず振り込んでくれ」の言質を引き出すことに成功した。

代理店でチケットの予約を終え、出発までの数日間、僕は病院の玄関先の階段に毎日座り、バックパックの下に詰め込んでいた坂口安吾全集の一冊を取り出してページを繰り始めた。
日本にいた際は安吾の「堕ちよ生きよ」や「地獄に花を咲かしめよ」という語、泣きそうになっていた情緒纏綿さは自分の中から消え果てて、まったくそのような文言に感電しなくなっていた。だから本を捨てた。

出発当日、「元気でな。それとくれぐれも入院代の振込を忘れてくれるな」と医師は言い、僕にレシートと振込先、そしてカルテを渡した。僕はそれに目を通したが、結局のところ自分の病気が何かその時点でもわかっていなかった。

街路に出てオートリキシャに乗り込む。
やせ衰えてはいても顔が喜色に彩られていたと見え、運転手の男が「何かいいことあったのか?」と尋ねてきた。「これから日本へ帰るんだよ。空港まで急いでくれ」と僕は言うと男は「わかった」と言い、アクセル全開で道を走り始めた。
男の操るオートリキシャはときに反対車線を爆走し、対向車のクラクションに僕はひゃっっほうーと声をあげて応えた。

空港に着き、カウンターへ行くと「おまえのチケットは無効だ。席がない」と、にべない調子でエアインディアの職員は言う。なんど「ちゃんと予約したんだから、そんなことありえないだろ」と語気荒くねじ込んだところで、男は表情を変えない。

日本ではありえないトラブルが起きると、その向きあっている相手がゲームでいうところの倒すべきボスキャラに見えて来る。だが、数カ月、インドにいると、そういう見立てがときに自らを袋小路に追いやることがわかってきた。トラブルには別の人間を巻き込むことが肝要で、そのつながり具合でなんとかなる、場合もある。

エアインディアのパイロットっぽい人が通りか掛かったので、僕は自分でもよくわからない英語で、「チケットを彼が断る。なぜだ。日本へ今日帰らないといけない」といった文意のことを、けっこうな勢いでまくしたてた。

真剣さのもつ表情の訴える力というのは万国共通で、パイロットっぽい人はカウンターまで僕を伴っていくと、なにやらヒンディー語で話した。それまで無表情だった職員の男は慌てた調子で端末のキーを叩くと「あ、よく見たらチケットありましたね」ってな具合で僕に笑顔を向けた。

パイロット然とした御仁は「よかったね。これで日本へ帰れるよ」と、僕の肩を叩くと「いい旅を」と言い去っていった。

座席に身を沈めて数時間、カレーとチャパティの食事が出された。
チャパティを割くとそこからどこの部位か判然としない毛が何本も出てきた。「なんで毛が具やねん」と思ったが、抗議する気持ちは起こらず、むしろ笑ってしまった。機上でもなお発揮されるこのインドテイストが最後のものであろうと感じ、適当に取り除き、カレーにつけて食べ続けた。

どういう現実であれ喰らうという気構え、あらゆる悲惨なことも肯定し、苦痛に身を開き続ける中で見える光明のほうへと歩みを進めるべきではないか。

アホボンとして暮らしてきた日本での生活だが、これからは住む家を失うなどいろんな展開があるかもしれないが、浮世の、今生の価値にあわせてその変化を落魄と捉え、僕は嘆くだろうか。生の幅の広さは物質の所有か喪失かに決定づけられはしないのではないか。

半ばまどろみ、半ば考えているうちに機は日本へ着いた。2ヶ月半に渡る旅は終わった。