ハートに火をつけて

雑報 星の航海術

学生時分にタイへ二度渡った。いまから20年近く前の話だ。
一度目は東北部の寒村へ井戸を堀りに。二度目は少数民族の村に農業支援のため赴いた。

井戸堀りでは、炎天下と高い湿度のもとで活動限界は早々と訪れ、結局のところ現地の人たちがほとんどの作業を行った。
二度目は恥を雪ぐべく、捲土重来の勢いで乗り込んだものの、腰を屈めての田植えと赤蟻の攻撃に耐えきれず、早々にTKOと相成った。

案山子でも雀を、ペットボトルでも猫を追い払おうというもの。畦道で蟻に食われて「イテテ、こりゃかなわぬ」と連呼している僕はまったくもってデクノボウであった。
井戸を掘るにも田植えをするにも、気高い目標よりもまずは体力が必要なのだなと思い知らされた。

1995年1月、テレビ制作会社で働いていた。徹夜明けにふとテレビを見ると見慣れた神戸の街が映っており、実家の麓が煙に覆われていた。阪神大震災が起きた翌日、神戸に帰り、2ヵ月ばかり暮らした。新鮮な水を手に入れる術も煮炊きする火を起こすこともできない不甲斐ない自分を発見した。

その後、東京に帰ってからロストジェネレーションの王道を行く、地べたを這う暮らしを始めた。
格差社会の到来を前にして、これまたわかりやすいことに脳裏にあって絶えず僕をどやしつけ、脅かしたのは、「自立」の二文字だった。

いまにして思えば、僕が自身に足りないと思っていた自立とは、企業社会への参入という射程距離しか持たぬ程度のことであり、きわめて抽象的、観念的なものでしかなかった。
就職できれば自立が成ったと考えていたとは、あまりに片腹痛いことではないか。会社と自宅を行き来する暮らしを賃金で購うことをもって生と呼び、何かが達成されたと思えるのだから。

そして2011年3月11日でまたも直面した事実は、たとえ実りの多い森や海のそばに暮らしても、何もできずに飢えてしまうだけの無防備な自分の姿だった。いまもなお僕に決定的に欠けているのは自立だ。

先日、和光大学名誉教授の岩城正夫さんのお宅を訪ねた。岩城さんは原始時代の火起こしの方法や古代中国の弩の再現などを行ってきた方なのだが、研究の中でも特筆すべきは、なんといってもキリモミ式の発火法だ。

ボーイスカウトやキャンプで火起こしの経験をした人もいるかもしれないが、懸命にやっても煙が出るばかりで、「昔の人はたいへんだったのだろうな」と思った人も多いだろう。

だが、岩城さんの手にかかれば、ウツギの棒をゆるやかに回すだけで火種がつく。わずか30秒ほどで白煙があがる。ワオと思わず嘆声が漏れた。

「昔の人はたいへんだった」のではなく、現代人は身体の使い方も道具の扱い方も知らないから、生存に欠かせないはずの火すら起こすことに手間取っているのだ。

しかも岩城さんの場合、古代人よりも道具の特質を研究し、さらに火起こしの技術を洗練させているようだ。なおかつゆるゆると棒を回すだけで火をつけてしまう身体能力も備えている。

僕もキリモミ式の発火法に挑戦してみた。
岩城さんに「2分以内に400度に上がらなければ火はつかないよ」といわれたのでプレッシャーに感じたのだが、なんとか火種はついた。

要点としては、手をこねて回すのでは火はつかない。回そうと思っては力むだけで、指先から掌にかけてじゅうぶん使いながら、棒を転がすように回す。体重をかけようとすると火きり板に圧はかからない。身を軽くしないと適当な圧が伝わらない。

そして、大事なことは、あれこれと考えていては火はつかないということだ。

情報や知識などを意識と照らし合わせ、「ああでもないこうでもない」と考え、辻褄を合わせていくことが生だと思ってしまいがちだ。そうして思い込める程度に甘やかされている。

火はそんな人の思惑の外にある。火はいずこから訪れたかもわからぬうちにここに到来する。

火をここに呼ぶには、必要以上のことも、必要以下のことをしても招来できない。

肝腎の身体ひとつうまく動かない経験をする中で、たまさかついた小さな火。胸の内に喜びが灯った。