約束の橋

雑報 星の航海術

先日のDOMMUNEでの番組の冒頭、坂口恭平さんが佐野元春の「約束の橋」を歌っていた。僕はこの曲が好きだ。

「いままでの君は間違いじゃない。これからの君も間違いじゃない」なんて歌詞、人によっては自己啓発じみた内容に聞こえるだろう。

自己啓発の問題は、エンパワーメントの言葉を紡ぐ人を偶像にするか、その言葉を呪文か念仏のように繰り返すようになる。
つまりは自己を他人の考えに譲り渡すようになるところにあって、ほんとうに自己を啓発することに傾注するならば、なんら害はない。

話は脇にそれるが当世、「あれは◯◯のパクリだ」といえば、自分の得点があがるような流行りがあるようだが、そんなのあまりおもしろいゲームに思えない。レベルの低いタグづけごっこで興が乗らない。

佐野元春の曲なんてブルース・スプリングスティーンそのまんまのがある。日本のポップス、ロックはそんなものだと思う。ミスターチルドレンなぞコステロの引き写しだし、輸入が原点だからどうしたって本歌取りにしかならない。

純粋な文化を望むなら漢字はおろか、ひらがなもカタカナも使えない。なんといってもひらがな、カタカナは世界最初の簡体字なのだから、出発点がアレンジ、ありていにいえばパクリだ。

現状のひたすらな否定が本当の現実を招来するわけではなく、既にある世界に向きあう真摯さへの軽蔑があると思えて仕方ない。

話を戻す。

「約束の橋」が印象鮮やかなのは大学を卒業し、就職した先の会社の歓迎会でカラオケ大会が催され、そこで僕は社長を前にして「約束の橋」を歌ったという記憶にも由来している。半ばやけくそに歌った。
入社して早々、ここは長居はしないだろうという確信があった。実際、3ヶ月後に辞めたのだが、歌った当初、その後の展望については何もなかった。

何もないけれど、ここにいるよりは不確定なほうに歩き出さないと、いずれ僕はやられちまうと思っていた。
新人研修での、ぺっこり45度と30度のお辞儀の使い分けを徹底され、それが人生上の徳目であるかのように説くトレーナーを前に、彼の言う人生からは降りようと決心した。

閉じた薔薇のつぼみの前で背伸びしつつ、あるいは狂おしくミツバチの群れをすり抜けながら踊り続ける。そんな心持ちを当時もいまも忘れていないらしい。そんなことを坂口さんの熱唱を聞いて感じた。