焼肉によるプロテスト

自叙帖 100%コークス

自宅にかかり始めた電話を最初に受けたのは、兄だった。
帰宅すると、「今日、なんや訳わからんヤツからおまえに電話あったぞ。そんで“夜道に気をつけろ”とか意味わからんこと言うてたぞ」と言われた。

まさか自宅に脅迫電話がかかってくるとは思っていなかったので、「はて、なんで心配してくれているんだろ?」とボケでなくそう思った。なぜなら我が家は、山の上にあってたいへん夜は暗いからだ。

けれども、夜道を心配してくれているわけではないとわかったのは、続けざまに「あとな、そいつ“大学でどうこうとか”“殺すぞ”とか言うとった。面倒臭いから、“文句あるなら家来いや、ボケ!しばくぞ!”と返事しといたったからな」と楽しそうにヘラヘラ笑って言う。

いやいやいや、家来られても対応するの僕やん。煽ってどうすんのよ。この人は本当にきな臭いことが好きなのだ。

兄は以前にも書いたようにたいへん喧嘩っ早く、拳を割く怪我をしたとき自分で縫おうとしたくらいワイルドで、おまけに自分の車に「平成」とか「菊紋」のステッカーを貼るような思想的に右寄りの人なのだが、僕はそういう兄に「おまえは右翼か!」と言われたことがある。

なぜなら一族の中で尹姓を名乗っているのが僕しかおらず、民族名を使う選択をした僕に対しての突っ込みが「右翼か!」だったわけだ。こうなると右翼の定義が何なのかわからなくなる。

一方の父はと言えばどうか。いちおう大学で起きていることを話したのだが、「オレの若い頃に比べたらマシなもんや。石とか投げられたからな」と勝手に感慨にふけるモードに入ってしまい、息子のいままさに陥っている状況についてはあまり関心がないようだったので、それ以上言う気を失ってしまった。

脅迫電話の主は夜勤の仕事なのか、僕が大学に行っている間にじゃんじゃんかかってきた。日中は兄か家政婦の方が電話を受けていた。

エレベーター内はこういう感じでした

大学構内の落書きもどんどん増え、ひどいときはエレベーターの扉以外の壁に長々と僕及び在日コリアンに対する罵詈雑言が書かれていたことがあって、思わず「耳なし芳一か!」と突っ込んでしまった。誤字脱字が多かったので、赤ペンで校正をしたら、さらにものすごい量の罵倒の文句が翌日に書かれたりした。

それにしてもさすがに“殺す”“死ね”と書かれていると、心穏やかではないが、「文句があるなら部室に来い」と言った手前、授業以外は部室にいるようにした。とりあえず金属バットは傍らに置くようにしたけれど。

とにかく例年にない落書きの数なので、大学の学生課に相談し、落書きの主を探すような手立てをとって欲しいと申し入れたが、「そういうことは難しい」という木で鼻を括った返答。学長に申し入れを行うべく打診してもリアクションがない。

そこで僕は朝鮮文化研究会のメンバーに相談することにした。
いつもは部室で小銭をじゃらじゃら言わせてチンチロリンをしたり、バカ話をしているボンクラ連中だけど、三人くらい集まったら何かアイデアも浮かぶだろう。

考えてみれば、僕はそれまで在日コリアンの級友らと深い話をしたことがなかった。
僕のことをたんなる“アホボン”と見て嫌っている人もいたので(その見立ては間違いではなかったが)、連日“殺す”“死ね”と言われるとさすがにブルーになるので、心開いて話してみることにした。

無愛想だけれどマジメに話を聞いてくれたのはMだった。彼は僕のことを鼻持ちならないヤツだと思っていたようで、その気配は僕も感じていたのだが、「おまえの置かれている状況を見過ごすのはおかしいやろ」と言ってくれ、何か行動を起こすことに賛同してくれた。

さて、学生の行う抗議運動というと、立看とアジビラ、ハンスト(ハンガーストライキ:断食を伴う座り込み抗議行動)などが代表的で、案の定ひとりが「ハンストとかどう?」と言った。

すると、M君は「なんでヒドい目にあってんのにその上、腹空かさなあかんねん。いまは、むしろモリモリ食って体力つけなあかんやろ」。

その言葉に僕はピンと来た。「はい、来ました!」という感じで頭の上にランプが点灯した感じになった。

「それやろ。おもしろそうやん、逆ハンストやろう。モリモリ食べて抗議するっていうイベントやろう」と僕が言うと、Mも「とりあえず韓国料理っていうと焼肉のイメージが強いから、肉焼いて辺り煙もうもうにしたろか」と言う。

こうして「逆ハンスト 焼肉プロテスト〜聴け!魂の地獄突き」の企画は冗談のような成り行きで決まった。