大学を留年したおかげで僕はまんまと就職氷河期第一世代にエントリーすることになってしまった。
矢は狙うから外れる。狙わなければすべてが的になる以上、百発百中というが、あらゆる機会を逃さず僕は過たず不運を射抜く傾向があるらしい。
上級生たちは就職活動など楽勝で、むしろ内定をいかに辞退するかに苦心していた向きがあった。企業も他の社に採られないように内定時期には学生をホテルに缶詰にし、ディズニーランドを引き回すといった策を弄することもあったという。辞退の意思をOBに伝えたら、喫茶店で頭からパスタをかけられたとか。どこまでが本当かわからないが、あながちウソでもなさそうな話をよく耳にしたものだ。
企業からのDMが届き始めた1992年冬は、グローバル化による経済構造の転換前夜であり、生活様式の激変をまだ伴っておらず、僕らはたんに景気の後退、つまりは「募集人員の減少」程度として経済事情を認識していたように思う。
だから、いまの学生に比べれば就職難といったところで大したことはなかったはずだが、92年から小泉政権誕生までの過程を振り返ると「あのときくらいが潮目だったのだな」と思い当たる節もある。
だからといって、変化の波濤を感じていたかというと、まるでなく、身構えもなかった。そもそも就職についてまじめに考えたことがない。それは日本企業に、それも本名で就職することが非常に考えづらく、難しかったということもあるが、ではデフォルトの困難さを前にして、それなりに生き延びる術について考えていたかというと、根っからのアホボンであった自分は徒手空拳による無為無策。ようは日々をやり繰りして生きていくことをまともに考えたことがないという、たいへん思い上がった態度でその日くらしを20余年続けてきた。
就職がどうこうというより、経済活動についてまともに考えたことがないので、景気の後退であるとか外国人であるとか以前の課題が僕には山積していたと言える。
会社で勤めることと自分の仕事を見つけ、それを生業にすることは異なるものだが、そういうことすら考えたことがない。
そんな人間が「就職活動でもやってみるか」という態度でエントリーしたところで、誰が採用したいと思うだろうか。特筆大書すべき能力も個性も取り立ててないことにはさすがに気づいていたので、不採用を告知されなくとも結末はわかっており、それを確認するためだけの就職活動と言えた。
その頃、僕はG.マルケスの『予告された殺人の記録』を読んでいたのだが、「うまいタイトルつけるもんだな」と我が身を振り返り思いつ、慣れないスーツを着ては会社訪問なぞを行なっていた。
船舶のエンジンをつくる会社から物流、老舗の材木問屋など20社くらい受けた時点で、己の才覚と見込みのなさに気づいてしまい、これ以上続けてもムダだと思うに至った。
だが、当時は「会社に入らないと食っていけない」というバカな考えをもっていたので、それを前に愚かにも思考停止するのが関の山で、前提そのものを見直すことはなかった。だから、とにかく採用してくれそうな会社に潜り込むという姑息なことを考えた。
そこで選んだのが、在日コリアンの経営している、さくらグループという企業だった。
焼肉のタレ「ジャン」をスーパーマーケットで見た人もいるだろうが、あれをつくっているモランボンは、さくらグループの傘下企業で、グループ内にはレジャー事業部や出版事業部などもあるのだ。僕は「本が少しばかり好きだ」というだけの理由で、出版事業部に入りたいと思い、さくらグループに履歴書を送った。
さて、さくらグループは現在は韓国でもビジネスを行っているが、かつては親北の姿勢をとっていた。それは創業者の青壮年期、社会主義自体がまだ眩しく見られていた時代の反映も大いにあったこともあって、北朝鮮は民主的で豊かな国だというイメージがあったことも影響しているだろう。(少なくとも朝鮮戦争前までは、工業化は韓国よりも進んでいたし、経済水準も上回っていた)。実際、韓国は開発独裁のスタイルを選び、富国強兵に邁進、民衆の権利を制限し、ときに苛烈に弾圧した。
限定された情報の中でどちらに祖国の希望を託せるかと言えば、北朝鮮になろうかというのも不思議ではないだろう。イデオロギーに対する熱烈な賛意よりは、「かくあって欲しい国家の理想の体現」が韓国ではなかったのだ。
その心情はわかる。ただ、様々な体制の矛盾が明らかになっても、社会主義にして世襲制という空前絶後のグロテスクな国家に与し続ける心持ちまでを理解したいとは思わない。
それはさておき、さくらグループは北朝鮮を支持すると見られた企業の中でも成功していただけに、日本の公安だけでなく、韓国の情報部からもむろんターゲットにされていた。(なお、さくらグループの社員の9割は日本人で、幹部のほとんども日本人だった)
だから面接において何が起きたかというと、他の日本人の学生と違い、二次面接はオーナーの子息の専務が担当した。そして、開口一番こう言うのだった。
「これから質問することは、不愉快に思うかもしれませんが、ご容赦ください。いまからあなたに思想的なことについてお尋ねします。なぜなら以前、韓国の安全企画部(現・国家情報院)のスパイが我が社に入ろうとしたからです」
僕は内心、「こんなの企業の面接ちゃうやろ」と思わず噴き出しそうになってしまった。とりあえず、オヤジが昔総連の活動家だったことや学生時代、右にも左にもつながりがあったことを話した。ひと通り話し終わると、「正直に話してくれてありがとう」と専務は言い、それからは単なる茶飲み話になった。「はて、こんなことでいいのかな」と思い、退室した。なにせ「君が我が社に入ったとすれば、何をしたいのかね?」みたいな質問は皆無だったから。
数日後、内定の連絡をもらった。