オシム師ならこう言うね。

自叙帖 100%コークス

「彼氏がいるんですけど」で退店しそうになったところ、背後から「あ、でも今度みんなで行くのなら」との返答を得た。

そこで後日、改めて他のアルバイトの女性店員ふたりを交えた計4人でお茶、ではなく、近くにある餃子の王将に行くことになった。聞くところによれば、僕はレンタルビデオ店で、彼女を含む店員さんのツボを突く映画を借りまくっていたらしい。

インターネットも携帯電話もまだ普及していなかった時代だ。僕はビデオを借りる際のほんのわずかな時間を通じて、デートに誘った。恋人がいるのにアタックかけてどうするの?という向きもあろう。

しかし、イビチャ・オシム師ならこう言うだろう。
「私はゴールキーパーがいてもシュートを打つのがサッカーだと理解しているが、君は違うゲームをやっているのかね?では、なんのために君はフィールドに立っているのかね?」

なんでサッカーをやったこともないのにサッカーになぞらえるのかわからないけれど、なんとなくオシム師なら言いそうなんでつい言ってみた。

思いには形がなくて、付き合うとかなんとかのモデルが最初から本当はあるんじゃなくて、別にそういうのがゴールじゃなくて、ゴールなんて一方向じゃないのだし、ただ胸の真ん中で灯る熱のままに行動したいじゃない?

心の奥でくすぶらせる思いなんて、くすぶっているだけで燃えやしない。
誰かがこの思いをいつかわかってくれるなんてことは相手任せの考えで、やっぱり会いたい人や話したい人がいるなら会いたい、話したいと言わないといけないし、「いま君とすれ違うということは、世界全体とすれ違うということなんだ」くらいのことは熱情込めて言わなきゃいけないこともあるわけで、セレナーデのひとつも歌わないといけないときだってあるわけで。

卒業までの半年あまり、最初は1週間に一度くらいが3日に一度と会う頻度があがり、そうして映画を見たり、お酒を飲んだりして、それはそれでいい学生時代のいい思い出で終わることもできた。

卒業すれば僕はしばらく東京で暮らすことになるし、関西で就職する彼女と頻繁には会えなくなるし、でも気持ちの中では「誰かにとって特別だった君をマーク外す飛び込みで僕はサッと奪い去る」な感じだった。

そうこうするうちに卒業式を迎え、僕は友人たちと打ち上げをした後、その日、彼女に来て欲しいと言われていた、それまでふたりで繁く通っていた、学生相手の店ではないけれど、僕らみたいな若造も受け入れてくれる静かなバーに行った。すると彼女がいて、僕は飲みなれないアイリッシュウィスキーのジェムソンを3杯くらい飲んでから、とうとう言ってしまった。心変わりの相手は僕に決めなよ、と。

翌日、彼女は恋人と別れた。