他人の欲望への迎合を己に課す

自叙帖 100%コークス

僕の入社したさくらグループという会社は焼肉のタレ「ジャン」に代表されるような食品会社だけでなく、傘下にはスーパーマーケットやボウリング場やサウナ、出版、レストラン、ゲームセンター、バチンコもあり、多角的経営していた。

新人はひとつの部門につき1週間、全体で1ヶ月あまり体験研修することでその適正を見る運びになっていた。
食品だとトラックに乗って営業先にジャンや春巻や餃子の皮を卸す。僕はトラックに乗り込むや早々に居眠りを始める。
サウナではお昼ごはんを食べれば立ちながら船を漕ぐ始末。遺憾なくボンクラぶりを発揮していたのだった。

そんな僕であっても割りと集中できたのは、スーパーマーケットの食品加工部門で、ひがな一日魚をさばき、三枚におろしという仕事で、これが性にあっているように思えた。

とはいっても、手先が異様に不器用な自分であれば、おろした魚はよくよく見れば、リアス式海岸か!とツッコミたくなるような切断面のものもあり、ときにそれを手にとって買ってくださったお客さんがいるとこっそり手を合わせたものだ。

仕事が終わり、バックヤードで長靴を脱ぎ、前掛けを取り、スーパーマーケットを後に駅に向かう頃には、先程まで感じていた高揚感は失せ、なんとなく不安で不満気で焦燥に炙られる心持ちで、足取りが重くなる。

自分には、取り立ててやりたい仕事というものはないのだから、とりあえず魚をおろすことでもなんでもいいから一人前だと認めてもらえるだけの時間をかける必要があるのではないか? その考えで心のうちに渦巻くよくわからない思いに蓋をしようとした。

いまにして覚えば自分の人生でありながらあえて霞を脳裏にたなびかせていたとは、自分の粗忽さ加減が嫌になる。よくも薄ぼんやりした頭でまあ生きていられたものだと思う。
「なんでもいいから一人前だと認めてもらえる」なんて、他人の欲望に迎合した生き方を課すということで、考えることを放棄しない限り思いつきようのないものだ。

与えられた仕事に熟達していくということは、「それ以外のこと」に目を向けることを止めるよう自らを促すという、悪質なルーティンへに馴れることとは異なるはずだが、どうにもそういう仕事の覚え方が多い気がする。

だから年間3万人も死んでいるんじゃないかと思う。こんなの内戦が起きてるのと同じなのになんでおかしいと思わないだろう。馴れて心身に変調を来たしているのに、そうまでなんで仕事の都合に自分を合わせるんだ。自殺したりするんだ。生きるために働いているんだろうが!死んでどうするんだって思う。

会社に勤めるという労働のあり方が働き方のすべてではないし、もっと言えば生きることがたかが会社勤めに還元されるはずもなく、常に「それ以外」の余白のほうが大きいはずで、だから他人の欲望に殺されんなって思う。

少なくとも大学までに本当に学ぶべきはそういうことだったのだが、最高学府を出ていながらも何にもできない、生きるとは何かをまったく考えもせず、生きる手立ても何も知らない状態で、いわば徒手空拳でジャングルに踏み入るような、とても危険なことを僕はしていた。

無為無策の人間であっても会社勤めをしていれば、肉体的には死なずに済むけれど、自分のいる場所がどういう意味をもっているか。どこに向かおうとしているのか。そういう認識をもっていないのだから、本当なら精神を殺されるような経験をしているのに、そのことにさえ気付かずいられる。

交通事故ですっぱり手足が切断された場合、痛みを感じないが、認識した途端、パニックに襲われ、痛みが走るという。
精神を殺される、つまり考えないようになることを働くことだと思い込み始めた途端、精神は傷み始め、そのことに意味に後で自分が捕まえられるから、自分で自分を殺すようなことが起きてしまう。

でも、人は死にたくはないから、生命の危機を感じることには、“胸騒ぎ”だったり“胸のつかえ”だったりといった頭では理解していても、消音できないアラームがあるはずだ。

僕は「仕事を覚える」という言い方に対してなんだか居心地の悪い思いをしていた。幼い自分であることは認めつつも、学生気分の払拭として持ちだされた「社会人としての一人前さ」がそれらを覚えることで確実に消去されるものがあり、それは学生気分の甘さだけではないという確信がどこかであったからだ。

食っていくということへの自覚は必要で、それを考えてこなかった未熟さは払拭する必要があるのは確かだ。
でも、甘さを捨て去った自分をある組織の都合に接続させれば、大人への階段をのぼれるわけでもなく。それはひょっとしたらいっそう生きることを忘れることにつながるような考えをインストールしてしまうことかもしれない。

23歳の自分はそこまで言語化していたわけではないけれど、わけのわからないおさまりどころのない思いだけが日々募っていた。それが最高潮に達したのは、最後の研修であるパチンコ店での業務中だった。