自己実現という病

自叙帖 100%コークス

研修期間の最後に選ばれた事業がアミューズメント部門、つまりパチンコだった。

僕はパチンコをしたことがない。競馬も宝くじも買ったことがない。あらゆるギャンブルと無縁で生きてきた。

パチンコは、内々でも「民族資本」と言われており、在日コリアンが携わる率の多いことは知っていたが、それは企業に就職し、働き、結婚して家庭をもち、家を買いといった、社会で「当たり前」とされていたコースに乗れない集団が生きていくために見出した活路のひとつであった。ほかのオプションとしては、芸能、スポーツ、街金、ヤクザ、外食といった選択肢もあったが、どれも一本独鈷でやっていくしかない。

ルポライターの猪野健治さんの言葉を借りれば、“己の存在を実力で確保する”ほかない独自の道を選ぶことなく社会に出てしまった僕は、本当ならいつ淘汰されてもおかしくない、生きる上でのド素人であったが、中途半端な学歴と在日コリアンの企業に採用されたという温情により、サバイブする能力を何ら磨くこともないまま企業に入ってしまった。

それが在日コリアン系であれ外資系であれ日系であれ、会社で働くということは、自己実現とかいうくだらない欲望に折り合いをつけての、それなりの姿勢、耐性を身につけてからでないといけないのに、その準備が僕にはまるでなかった。

そのため「この仕事は俺に向いていない」「上司は俺の能力をわかっていない」といったアホ丸出しの思いを抱えており、とはいえ、それを如実に表すと、不貞腐れた態度にしかならない。それはまずいとはわかっているので、「俺がいる場所はここではない」アピールをよくわからない形で出すという、いまから思うと、殴りつけたいようなことを当時の僕はしでかしていた。

たとえば控え室での休憩時間に、同僚や先輩社員と話すこともなく、『一向一揆と部落』や『死を前にしての歓喜の実践』を読むという、何アピールやねん?ということをしていた。

僕はグループの一部門である出版事業を望んでいた。だが研修が明けての所属発表の日、パチンコ店への勤務を命じられた。
その理由は社長の三段論法によればこうだ。「これからのパチンコはマクドナルド並の接客が必要とされている。それには哲学が必要だ。君は哲学科出身だから配属を決めた」。

当時、パチンコはCR機というプリペイドカードを購入して玉を買うシステムの導入で揺れていた。
パチンコの景品がなぜ換金できるか?というところを詰めていくとグレーゾーンだ。

そのグレーゾーンは、当局との駆け引きという年数かけて築かれたゾーンでもある。為政者だって特定集団が貧困化すると社会不安が増大することを知っている。
そのリスクとグレーゾーンの存在を天秤にかけた場合、グレーゾーンをバッファーとして利用することくらい当たり前の話だ。しかし、思いの外、パチンコ産業が巨大化したことでグレーが濃くなると、もともとの矛盾も目立ってくる。

だからどうしたかというと、CR機の導入だった。プリペイドカードの販売には警察庁の天下りがつくった団体と商社が絡み、グレーゾーンを既得権としてみなし、再分配によってグレーを存在させるという手法をとった。それが僕が就職した時期にあたる。

当然、産業としてのうまみが減り、当局からの監視が強まる中で、かつてのように射幸心を煽るという方策で客を誘うことができない。そこで考えられたのが、「パチンコをする時間を楽しんでもらう」というギャンブルからアミューズメントへの転換だった。
後にパチンコ産業は神経学者と組んで、パチンコのプレイ中にセロトニンが出て、鎮静するような働きのあるような仕組みを開発するなど、世間が思っている以上にギャンブル性を消す努力をしている。

そういう業界の見取り図を知ることもなく、ただ自己表現や自己実現に囚われていた僕は、パチンコ部門に任命されたことが不当な運命にしか思えなかった。

その一方で、「自分は一人前ではないのだから、不当に思うことでも最低3年くらい働かないといけない」という誰に言われたわけでもないのに、一人前の設定というものをもっていて、それを習得することが大人になることだ、という社会で生きていくには無防備過ぎる他人任せの考えをもっていた。
つまり文句を言わずにとりあえず働けというメッセージと文句たらたらの自分が同時に存在していた。

マクドナルド並の接客を導入していた店は、開店と同時にお客さんに深々と頭を下げる。台がフィーバーすれば馳せ参じて「大当たり、おめでとうございます」と頭を下げ、箱を取り替える。開店から閉店まで毎日来店する人もいる。普通に考えれば、上得意の顧客であるから、あたかもコンシェルジュであるかのように接して当然だ。

けれども僕にはそれができなかった。騒音の中で営業開始から閉店まで毎日いて、あまり健康そうにも見えない人に敬意をもって接することが当時の僕には至難の業だったのだ。どこかで軽侮の念があった。
いまから思えば、なぜ?を侮りではなく、生業への興味に転換することもできたろうが、その人のありようや置かれている状況よりも、自己表現や自己実現のほうが上回っていた僕は、そういう思考がまったくできなかった。

尊敬できない人のおかげで初任給にしてはいい給与をもらっている。なぜ他部門に比べ給与がいいかというと、大学卒業してまでパチンコ店で働くという劣等感への手当であったからだが、それに加えて自己実現欲求に取り憑かれていた僕は、働くことが葛藤と矛盾そのものという状況に落ち込んでいた。

それを解決するには、携わっている仕事に隙間を見つけて新たな意味を見出すか。辞めるかのどちらかしかない。
その決断を迫られる日が来た。

あるときフィーバー中のお客さんの台がトラブルを起こした。処理にあたった僕がまごまごしていると、学生のバイトのSさんがさっと手助けに入ってくれ、まず台の電源を落とした。
それを見たお客さんは「電源きったら大当たりがなくなるだろうが!」と怒った。
するとSさんはニヤリとした表情で、「お客さん、俺らこれでメシ食ってんすから信用してくださいよ」。

僕は彼の言葉に打ちのめされた。「俺ら」に入る資格が僕にはない。自分の仕事に対する自負も振る舞いもわかっておらず、客に敬意も払えない。そんな自分がのうのうと給与を貰うわけにはいかない。

翌朝、僕は辞表を提出した。就職してまだ3ヶ月しか経っていなかった。