旬の終わり

雑報 星の航海術

この季節を迎えると決まって思い出すことがある。
それは幼稚園に通っていた1975年の夏を境に「旬の食べ物がなくなってしまった」という感慨で、この断念とも諦観とも言いがたい思いをたしかにあの夏に抱いた。

旬を失ったと同時に果実が酸っぱかった時代も終わったように思う。その頃までは、果実はだいたい甘酸っぱいと相場が決まっていた。苺はミルクに浸して潰して食べる。りんごはあくまで酸っぱく、僕はなぜかマヨネーズをつけて味をマイルドにして食べるのを好んだ。
中元で貰う夏みかんや八朔を剥くのは父の仕事で、ガラスの器に山盛りの実に粉砂糖を少々、ブランデーを垂らすのが彼の流儀だった。

果実に限らず、肉にしても野菜にしても最近では甘いことが良しとされているが、甘い野菜づくりが可能になったのは、F1種の普及のおかげだということを最近になって知った。(身近に半農半Xな活動をしている人が増え、彼ら彼女らに聞いた話を自分なりに理解しているため事実誤認があるかもしれません)

F1種とは、ときに自殺種という不穏な表現をされる種で、異なる性質の種を掛け合わせてつくった雑種の一代目。生育がしやすく、種によってかかりやすい病気への耐性もあり、しかも大きさや風味も均一で大量生産や大量輸送が可能だという。しかし、同じ性質を持った種が採れない。

F1種と比較されるのが固定種で何世代にもわたり淘汰選別され、遺伝的に安定した種で、地域の気候に適応した伝統野菜を固定化。生育時期や形、大きさが不揃いだが自家採種できる。

いろいろな野菜を安く大量に、季節を問わず食べられるようになったのは、F1種の普及のおかげだ。種だけでなく農薬、化学肥料の組み合わせが必要で、そのパターンが定まったのはだいたい1970年代のようである。F1種が普及して40年そこそこしかない。
自分の記憶はそのあたりの変節の時期と重なっているのかもしれない。

「人為ではない本来の自然の農に立ち返る」ことを観念で考えると、断然「固定種がいい」ということになるのだろうが、固定種も品種改良を経ての種であり、そこにはやはり人為がある。何をもって人為とし、何をもって自然とするかというと非常に困難になってくる。そもそも畝をつくり、地を耕すことは自然なのか。

それにF1種が求められたのは、生産側だけでなく消費者側の理屈もあって、より安く、美味しい物を求めた結果でもあろう。なにより固定種で野菜を育てている友人が「ぶっちゃけ固定種よりもF1種のほうがうまいんですよね」と呟いたことが忘れられない。
むろん、彼は農を始めて1年ばかりで、もっと熟達した人なら固定種で美味しい野菜をつくれるのかもしれない。

が、固定種で美味しい野菜を「つくる」という介入がすでにして人為の業だとしたら、果たしてどこまでが自然の営みといえるのだろうか。
こうして何が自然かを距離をもって眺められるのは、生業として農業に携わっていないからだろうが、それでも思うのは野菜や果実は人間に食べられるために存在していないということで、甘さなどどうでもいいことなのだろう。
種が巡り続ける生命のサイクルの中で、野菜や果実にとっては二の次の問題が人間にとっては重大事で、それが産業となり、環境を汚したりもする。

本来的にはどうでもいい余剰を通じ、人は社会を整えたり、技術を開発したりする。結構、本質的にはどうでもいいことのために真面目に働く。
真面目に働くことがいいことだとされているけれど、害虫と呼ばれる虫だって真面目に野菜を食べているし、泥棒も真面目に盗みを働く。真面目そのものを取り上げてことさら何か評価することが、どうでもいいことなのかもしれない。

どうでもうよくないことがどういうことなのか。それが見えてこないことは、かなりどうでもよくないことだ。でも、肝心のそれがいちばん見えにくい。