土性骨

自叙帖 100%コークス

震災翌日に神戸に入ったが、それからの出来事を時系列に置き直して思い出すことはとても困難だし、そもそもそういうふうに思い出すことに意味があるのかもわからない。

断片的な記憶が切れ切れに、それでいて折り重なって次第にグラデーションを描き出すようにして、何かの風景を描いているようでもあって、だからときおりなぜそれを覚えているのかわからない記憶もインサートされていて、まとまりのある物語を拒むようにして、僕の中に蔵されている。
だから、誰かに阪神淡路大震災について語るとき、いつどこで何があったかといったように時間に配列して話すことはできないし、客観的に語ることもできない。客観的な視点の立ち位置がそもそもわからない。

後に僕は主に日中戦争に従軍した人の体験談を聞く機会が増えるのだが、自分の記憶の質と照らし合わせるようにして質問をするとき、彼らの警戒を少しは解けることに気づいた。

従軍した人たちの話は単純な因果関係にまとめることを拒んだ。彼らは末端の兵であり、書籍を出版するような将校と違い、「お話」を雄弁に語らない。史実というまとまった形として話さない。
というよりも体験したことを語りたがらない。彼らの経験は正史には載らない。確定した事実とするには断片的であるからだ。だが、それがどうだというのかと思う。

よく戦闘や戦争に付随する悲惨な事柄(たとえば支配地域での略奪、強姦。それに慰安婦、集団自決etc)に関わった人たちの証言ひとつひとつの整合性を取り上げて、史実か否かを判定したがる人がいる。
たぶん、物事をそういうふうに正邪や善悪の筋目に従って割っていくことが事実の探求だと学校で学んできたのだろう。
僕は思うのだが、そういう考えの育て方は、“人間に出会ったこなかった”からではなかったかと思う。あるいはその経験を忘れているからではないかと思う。

友達との遊び、喧嘩、親との付き合い。見知らぬ人との初めましての挨拶、親同士の親密さとその合間に浮かぶよそよそしさ。
そういった人と人とが触れ合う中で感じるざわざわした質感や意味に還元するにはノイズが多すぎて、ハレーションめいた風景として映じるような体験を通じ、次第に学んでいくことがある。

人はプライドを誇示したくて自分を高く見せようとしたり、正直さの装いに照れて見せるような素直さがあったり、自分の感情を人に押し付けることが善意だと信じていたり、当人が言っていることと言わんとしていることには、その人らしさや業めいたものがかなり顔をのぞかせる隙間があるということを。

人をいたわる気持ちから、あるいは人に自分の気持ちを知られたくないから自分を偽って言葉を紡ぎだすことなど、日常の暮らしの中では、当たり前のことで、とりわけきつい経験を重ねてきたら、自分を守るために本当のことは言わない。脚色もする。そうでないと到底自分を保つことができない。
それくらいの心模様、ディテールは生きていればわかることだ。他人に正直さを要求する人も自分の気持ちを騙すことは普段から熱心にしているはずだろうし。

話を戻そう。

実家の周囲は外国人が多かった。いちおう僕も外国人だが、ベルギー領事をはじめ、カナダ、ドイツ、アメリカ人が住んでいたが、彼らは早々に本国へ一時帰国していたと見え、家はもぬけの殻だった。

日本人でも財に余裕のある人は大阪あたりのホテルで暮らしていた。そんな中、近くに住むアライさんの行動に僕は瞠目した。

アライさんはパチンコ店の経営をしていて、アライという名でパチンコといえば十中八九、在日コリアンだろうけれど、このアライさんの邸宅は一世らしいゴージャスてんこ盛りで、門扉の前に三越のライオンみたいな像がでんと据えられ、空中庭園みたいにしつらえられた庭にはサモトラケのニケが置かれと、成金趣味丸出しだった。

そのアライさんだがどういう考えかわからないが、震災から数日後に自宅前にブルドーザーを置いていた。どうやって調達したのかわからないが、実家を含む一郭は山頂にあり、ひょっとしたら山崩れが起きるかもしれないと噂されていて、それで急遽ブルドーザーを運び込んだのかもしれない。
そのプラグマティックという洗練された言葉よりも土性骨がふさわしい、「どっこい生きている」を高らかに宣言するような行動に僕はちょっと感動した。

人家の灯火のない夜にブルドーザーを見ると、感傷的になりそうな気持ちで自分の体験していることを綴ろうとする力を笑い飛ばしたくなった。なんとなく僕は震災した神戸での暮らしをお話にするまいと思ったのだった。