文痴

自叙帖 100%コークス

常々感心することなんだけれど、いま誰もがブログだとかツィッターで文章を綴っていますよね。これ、本当にすごいなと思うんです。

といのも僕は30歳くらいになるまで、他人が一読して読めるような日本語を書くことができなかったからです。
いや、これは誇張しているわけではなくて、本当のところ。

僕が神戸へ行っているあいだに勤めていた番組制作会社は、大手の取引先と揉め事があったみたいで、急遽人員を切らざるを得なくなった。
それで白羽の矢が立った?僕は久方ぶりの出社初日にクビになったわけで、さてどうやってこれから食っていけばいいのだろう、とさほど深刻でもない調子で考えていたら、その数日後に大学時代の先輩と話す機会があり、彼はひょいと「ライターに向いているんじゃない?」と僕に言った。

たぶん先輩にすれば適当に言ったんだろうけれど、僕は「そんなもんかな」と思ってみて、でもよく考えたら世の中にライターという仕事があるのをそのとき初めて知って、へぇと思った。それくらい世事に疎かった。

紹介されたツテをたどっていくうちに扶桑社が発行している週刊「SPA!」の編集者に、さらに部内の編集者を紹介してもらうことになった。
その人は、いまはそのコーナーがあるかどうか確認していないのだけれど、当時「今週のプレゼントコーナー」みたいなページがあり、そこを担当していた。

どういう内容かというと「今週はジョージアのコーヒーを20名の読者にプレゼント」みたいな、ひとつの商品につき80〜100字くらいの文言を書く仕事で、全部で10商品くらいを紹介する。

たしか一回の原稿料が3万円くらいだった。週刊誌だから月に4回発行として3万×4=12万円という、毎日モヤシか大根を食べている貧乏人にとっては願ってもない報酬だ。

ツィートの文字よりも少ない量を書くだけでそれくらい貰えるのだから、ふつうに日本語の読み書きができる人であれば、楽勝だと思うだろう。

だけど、僕はできなかった。

24歳当時の僕は“てにをは”が白水社かみすず書房の翻訳ものの本に時折見かける、生硬な文書にプラスして、ひとつの文章の中にいくつも主語が出てきて「いったい誰が何を伝えないのか」不明の、加えて前半は能動態なのに後半が受動態だとかの変調子がデフォで、本人はやっているつもりもないのに、バロウズもびっくりのカットアップを行なっていた。
というか、たんに読みにくい、読めない日本語を書いていただけなのだが。
音痴という現象があるように文痴というのもきっとあるんだと思うと、当時の自分を振り返るにつけそう感じる。

仕事を始めるにあたり、手に入るはずの原稿料をあてに僕はカシオのワープロとファックスつきの電話を買った。
今週の読者プレゼントコーナーの記事をキーボードをカタカタいわせながら書いて感熱紙でプリントして、ファックスで編集部に流す。抜かりなく仕事ができた!と思っていたら、数分後、編集者から電話があって「そんなにリリカルに書かなくていいですから」ともう一度書き直しを命じられる。

はて、リリカル?と訝しく思って、いそいそと書きなおす。

「アサヒビールのスーパードライ1ケースを10名様に」といった、装飾しようのない文章のどこにリリカルさを放り込めるだろう。いまそんなことをやれと言われても、それは針の穴にラクダを通すことに近い。
よくもまあ端的な事実しかいらない文章に情緒纏綿さ具合を施せたものだと、当時を思うにつけ感心する。

もはや本来の目的を見失っているデコチャリ

喩えて言えば、向こうは「シングルスピードのシンプルな自転車を買いたいんです」って注文しているのにデコチャリに仕立てちゃったみたいな。それでいて悪気はないのだから質が悪い。

とりあえず、もう一度書き直して送ったのだけど、また数分後に電話がかかり「よかったら編集部に来て書きませんか」と、穏やかながらもちょっとピリっとした調子で言われた。
電話であれこれ指示するよりも、その場で添削したほうがいいと判断したのだろう。
毎週締め切りのある週刊誌の仕事の進行はタイトで、こんなレベルの記事でいちいち指導する時間は無駄でしかないから、編集者も困ったことだろう。

そんな空気もおかまいなく、僕はリュックにワープロを詰め、扶桑社のある竹芝まで行き、編集部についておもむろにワープロを取り出して、さあ書こうと思ったのだが、電源コードがない。
そこで「すいません、コードを忘れたので取りに帰ります」と編集者に言ったところ、彼女のこめかみあたりに青筋が何本か走った。

板橋区大山のアパートに1時間近くかけて戻った。そうしてコードをもって再び戻ろうとしたとき、電話がなり、ファックスがジーっと音を立て紙を吐き出し始めた。

「今週の記事はこちらで書いておきます。来週からはけっこうです」

何もしないうちに失ってしまったので、途方に暮れるにも暮れようがなかった。