ぬかるみの世界へ

自叙帖 100%コークス

巷間“赤貧洗うが如し”というが、洗うものもあとは我が身ひとつとなれば、そう頻繁に洗ったのでは乾燥肌になってたまったものではない。「やあ、米びつの米も底をついたようだし困ったな」と思っていた折に、知人が連絡を寄越し、「ひとつどうだね」と新聞社の口を斡旋してくれるというので、面接を受けることにした。

新聞といってもメジャー系ではなく、在日韓国人を対象としたコミュニティ向けの新聞、というかミニコミみたいなものです。その名もまた誤解を受けやすい「統一日報」というもので、よく統一教会の広報誌と間違えられるのだけど、それは世界日報という。
統一日報のいう「統一」とは「朝鮮半島の統一」を指しており、決して宗教から来たものではない。のだけれど、その統一はあくまで韓国主体であって、つまりは反共と韓国政府の支持が前提だという保守的な論、といってもそう立派な論でもない論を主張する媒体で、その頑なさは宗教にも似ていたやもしれない。

80年代半ばくらいまで実家も付き合いで統一日報を購読していた。その背景には、在日コリアンのコミュニティが影響している。
最近ではネットの影響もあって一昔前なら物好き以外は知らなかったことも曲解込みで浸透している模様で、在日コリアンには韓国を支持する民団と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支持する総連のふたつの団体がある。この連載でも書いたように親父はかつて総連の活動家だった。

だが、社会主義でありながら権力の親子世襲をするという、ほんとうにグロテスクで荒唐無稽の事態に親父は持ち前のスサノオ加減を爆発させ組織から足を洗い、あとはひたすら資本主義社会でサバイブすべく奮闘してきたわけだ。

もともと父は韓国籍だったし、当時、パスポートをとるには民団を通じてしか取得できなくて、そういう関係から民団を積極的に支持していたわけではないけれど、付き合いからなんとなしに新聞を購読したのだろう。80年代初頭というと韓国の民衆にとっては受難の時期で(戦後から一貫してだろうが)、軍を主導にした開発独裁の政権ならどこの国もやる手法で民主化の動きは弾圧されていた。
そういう政権と親子独裁の国のどちらを支持するかというのは、まともな神経をもっていたらできるものではない。当時のことを想うと「右であれ左であれ我が祖国」みたいなロマンティックなことは僕は言えないなと思う。

中高生あたりの記憶を紐解けば、統一日報はむろん政権の体質を批判することはなく、とりあえず北朝鮮の悪口を書いていた。そういったスカスカの内容だったことだけは覚えている。

骰子を振り続けて出た目に驚くというか、まさか自分がその新聞社に携わると思ってもみなかったのだが、ともかく糊口をしのがなくてはならない。会社のある赤坂へ一張羅を着ていそいそと出かけた。地図で見ると近くにはホテルオークラや虎やもあったりするので華麗なビルディングを想像していたのだが、曲がり角を折れて最初に目に飛び込んだそれは思わず二度見するほどの、まるで一等地にふさわしくないかなりパンチの効いた経年劣化も激しい建物だった。

僕は湿気にたいへん弱い体質なのだが、それが関係しているかもしれないが、街を歩いていると「ここは昔、湿地帯だったな」とかわかってしまう。
気持ちのいい陽光のさしかける街でも路地を一本隔てただけで急に雰囲気の変化を感じたりして、「ここは川か淵があったはずだ」とわかって、あとで地図を調べるとほとんど合っている。

ダウンジングみたいに水源を探し当てるなら、いざというときに役立つかもしれないが、湿気を感じたところで何の役立ちようもないので、まるで使い道がないのだが、統一日報のかなり本格的なリノベーションの必要な建物の敷地内に一歩入ったとき、「ちょっとこれはね」と思うようなジメジメさがあった。

いまにして思うと、あの会社はアリスはいないけれど、ワンダーランドだったなと思う。というか、ぬかるみの世界だったな。1996年6月に僕は統一日報に入社した。