方違え

自叙帖 100%コークス

ふつう名物記者というと、他社に先んじてスクープをとってくるような人を指すのだろうけれど、僕の勤めていた社に関していえば、マスメディアの一翼を担っている意識が絶無だったため、そのような競争原理が社内に働いておらず、ではどういう力学と動機によって仕事が行われているのかというと、よくわからない。

たぶん、前から行われていることを今日も行うという意識だったのだろう。そうした平坦な時間感覚では刺激の少ない、凡庸な人物しか集まらなくても不思議ではないのだけれど、赤坂の吹き溜まりの立地の面目躍如というべきか、ここには名物記者はいなくても、ひょうげた名物珍器はたくさんおり、しかしながら名物に旨いものなしというように、変わり種のめじろ押し&粒ぞろいの織り成す一挙手一投足はさながらコントのようであった。

たとえば、階上が何やら騒がしい。はて?と思っていたらば、幹部同士が取っ組み合いの喧嘩をして階段から転げ落ちてきた。
はたまた上司同士がつかみ合いの喧嘩をして、くんずほぐれつのまま掃除道具を入れているロッカーにふたりして入り込み、その中で喧嘩を続行し、数分後に出てきたほうが勝者と見えたが、その頭には蛍光灯の破片が刺さっていた。

それはジャーナリスティックな論点や思想信条もろもろのパトスが知らず迸り、肉体言語となり竜虎相搏つ展開であった。といえば格好もつくが、そういうわけではまったくなかった模様で、いまなおその咆哮搏撃が何によってもたらされたのかは不明である。俺の悪口を言ったとかそういうレベルであったかもしれない。

しかしながら、常識のあるなしを同時代の価値観に求めたとき、上記の行動は「大人気ない」「話せばわかるものを」と、取り成す理由を持ちきたれば、それなりの理解もできようが、僕はある日、なまじ現代人風の言葉をしゃべり、当世風の衣装を着ているからわからなくなるが、この時代のものではない価値基準に拠って生きる人がいて、その人からすれば現世の、しかも企業社会で通じる理屈がごときは、まったく歯牙にもかからないものなのだなと痛感した。

社はまがりなりにも新聞社であるからして社会部、経済部、文化部、資料室というセクションにわかれている。ある日、文化部の上司が資料室の新人社員に「あすこに行って資料を引き取りに行って欲しい」とお願いした。
口頭で指示を受けたらば、すぐに部署に戻ればよいものを新人社員の女性は「んーんー」と思い倦ねる様子。
しかも、これほどまでに「んーんー」を絵画的に表せるものかというような、あからさまに指示されたことを右から左へと誰かに手渡したいような様を見せたという。

あまりに陰々と低周波な「んーんー」を続けるものだから、上司は「どうしたの?他に用事があるの?」と尋ねると、彼女は「んー、いや今日はそっちの方角はあんまり行きたくなくて」と返した。平安時代か!と上司が突っ込んだかどうかはわからない。

まさか現代に「方違え」や物忌に基づいて行動を律している人がいると思わなかったのだが、彼女にとっては指示された行く手には、艮の金神か天一神がいたものと見える。

時代の標語にグローバルスタンダードはまだ掲げられてはいなかったけれど、「外資系」という語をもって、「バスに乗り遅れるな」的雰囲気は世に広まりつつあった。その折も折、ローカルルールに則ってどっこい生きる人がいるというのは、ちょっと感動ものだった。

相変わらず席の前の先輩は仕事中にキッチンで昼ご飯の仕込みをしていたし、超ローカルルールに則り過ぎて業務は遅滞するのが常となり、24時間遅れの定刻みたいな、遅滞も周回すると平常運転に思えてくるようだ。