バリスカン造山運動

自叙帖 100%コークス

僕のインタビューはたいへん拙いもので、いまでもそうだから15年前なんて目も当てられないものだった。一言で言えば、所作がゼンマイ仕掛けというか、全身挙動不審そのもので、基本的に口調はカタコトだった。
インタビューイの「この人、大丈夫かな?」という上目遣いの視線が痛くてたまらなかった。気分はわかってる、わかってる、でもできない!なわけですよ。

リレーインタビューは自分で出した企画だし、いろんな人に会えて話を聞けるから楽しい反面、人間とまともに話したことのない僕にすれば、猿人から直立二足歩行の世界にいきなり入り込んだ感じだった。

おかしかったのはインタビューの際の話の切り出しや運びだけではなく、文章のほうも激しく常軌を逸していたとみえ、上司に呼び出されては叱責ではなく、トホホな感じでこんこんと文章の理合について説明された。

上司は一面赤字の入った原稿を僕に見せつつ、「ひとつのセンテンスにいくつも主語があるのはおかしいでしょ」とか「どうして前半が能動態なのに後半が受動態なの?」という。僕は赤面し、身を小さくして聞く。
たしかに僕の言われていることは、小学生レベルだった。基本中の基本ができていなかったことに恥じ入るところは大なのだ。がしかし、どれほど細かく注意されても同じ事を繰り返す。知識としてわかっても、実際に書く段になると前と同じ轍を踏む。しかも絶妙に。

失敗を繰り返すことのおもしろさは、たとえば道はものすごく広いのに、「そこを行けば必ず側溝に落ちるよ」というようなところだけを必ず選ぶ。確率としては再現するのは難しいところを百発百中という、ある意味での名人芸が失敗の妙味なのだと思う。

これは極めて個人的な体感と体験に基づく偏見であるが、繰り返される失敗は克己でなんとかなるものではないし、テクニックの習得で克服できないものだ。
克己は対象をなかったことにしがちだし、テクニックは付け焼刃で、結局のところ問題が起きたときに役立ちはしないからだ。

失敗を繰り返すのは、おそらく自分に対するある種の説明で、「この事態を理解せよ」と体のほうが意識に迫っている。失敗を繰り返すという凝ったかたちで、「自分にとって何が置き去りにしておいたままの課題なのか」を自分に指し示している。

僕にとってのそれは人の心だった。人の感情というのは、曇りガラス越しに見るような感じで、いつもぼんやりしている。翻訳しなおさないと相手の情動が理解できない感じだが、わりと重要な場面でその翻訳が致命的に間違っていたりする。人の感情との接続の仕方が間違っているから、たぶん理解ができなかったのだろう。いまでもそうだけど。

そんな個人的な事情を解決するのを仕事は待ってくれない。だから僕は社内でお荷物だったと思う。ベタ記事といって取り立てて重要ではない出来事は三行程度で書くのだが、それだって覚束なかったのだから。まるでダメな僕を上司はかわいがってくれた。たぶん呆れていたのだと思う。

ある日、上司と食事に行った際、店に据え置いたテレビはDVについて報じており、食事が出るまでのあいだ二人して見入っていた。おもむろに彼は「ああ、彼は傲慢さと卑屈さを行き来することでしか己を保てないのだな」と漏らした。

僕はそのとき頭の中がぐわんぐわんと揺れた。何が起きたのかわからないが、そのとき僕の心の中に満艦飾の花電車は走りまくり、鉦や太鼓は打ち鳴らされ、バリスカン造山運動くらいの変動が訪れた。

それまでの僕は感情を取り出せる塊みたいなものとして想定していた。ようは喜怒哀楽という区分をひとつのコマが動いていて、それを取り上げて吟味すれば、その人の心がわかるのだろうと考えていた。
しかし、心の動きというのは、そういうものではなく、怒りの射影が哀しみに伸べられるような、機微や陰影というものがあるらしいと気づいたのだ。(こんなことを大発見だと思っている時点で、どれだけ僕がロボットめいていたことが知れようというものだが)

その日を境に主語と述語が合って、とりあえず文意の通るような、平易な文章を書けるようになった。ようは小学生の文章くらいは書けるようになったということで、他人からすれば取り立ててどうということもないだろうが、僕にとっては月に向かうロケットの打ち上げに成功するくらい画期的なことだった。

この経験を通じて知ったのは、学習とは同じ時間と空間を過ごす中で、一見するとそこで語られていることと脈絡がない何かを会得することでもたらされる、つまり薫陶以外にありえないのだろうということ。
そして、物事の本質を知るとは、コンパクトにまとめられた概念を知ることではなく、「勘所を押さえる」という感覚的な把握でしかなく、これはノウハウではないということだった。