怪談

自叙帖 100%コークス

失恋の痛みというのは何度味わっても耐性ができるわけでもないものだ。辞職願いを出してから退職までの一ヶ月、仕事に関しての記憶はまるでなく、時節も秋ということもあり「ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」い感じに浸っていた。浸りすぎてダシがとれるくらい。

人ごみに流されて変わっていくのは私なの? それともあなたなのかしら?
そんなポエジーな気持ちで過ごした日。あの頃を振り返って強烈に覚えているのは実は彼女ではなく、怪奇現象であった。

統一日報は日刊の新聞社ではあるけれど、読者には郵送で届くため速報性はあまりない。そのうえ記者クラブにも入れない。日本のメディアの蚊帳の外にいたわけだから他の新聞社のような「夜討ち朝駆け」のルーティンワークはない。

なのだけれど、なぜか宿直当番があり、男性社員は月に一度くらいの割合で当番がまわってきた。入社して半年目まではその義務はなかったが、それ以降は僕も宿直に入るようになった。地下一階のキッチンと倉庫のあるだだっ広い部屋はとにかく気配がよくない。寝付けない。
眠気が訪れないので「ドクトル・ジバゴ」とか「ストーカー」とかわりと長編もののビデオを見て、時間を過ごすことが多かった。

宿直に入った人の中で公然と語られていたのは、「幽霊が出る」という話で、どうも昔、社内で心不全で亡くなった幹部がいたらしく、その人じゃないか。
あるいはキョクシン空手の“牛殺し”の大山倍達(本当は牛を殺していないけれど)の師匠であり、石原莞爾の秘書だった曺寧柱の霊ではないかともっぱらの噂であった。

僕は幽霊を見たことがない。そういうものの存在を信じるか?と言われたら、「いても別にいいだろう」くらいにしか思わない。見える人には見えるし、感じる人は感じるのだから、それを躍起になって否定してもしょうがない。

ただ、そういう世界を証だてするスピリチュアルの住人たちは本当にピンからキリまでおり、どちらかといえば偽物のほうが多いのも事実で、だからその手の話は基本的に眉唾くらいでちょうどいいと思っている。

退職の数日前、最後の宿直当番となった。その日、夜中の見回りも終わり、ベッドに入った。どれだけ時間が経ったかわからないが、深夜に目が覚めた。

会社は4階建てて正面玄関はシャッターを下ろしており、社内には僕しかいない。出入り口は地下一階しかなく、そこの扉はとても立て付けが悪く、外部から人が入ってきたらどれだけ熟睡していても目が覚める。

外部から誰かが入った形跡はないのだが、階上で明らかに靴音が聴こえる。カツカツという音がする。一年半も勤めていると社内の人間の立てる靴音にはそれぞれ特徴あるということもわかるものだが、もう明らかに社内の人間ではないことが直感的に知れた。

「とうとう来ましたか」と思いはしたものの、とりあえずできることと言えば、布団の中に潜り込み、怨敵退散と唱えることくらい。
すると靴音が階段を降りる音に変わった。四階から三階へ。しばらく静かになっていたかと思うとまたカツカツと歩きまわる。

亡くなった幹部は老年であったと聞くが、耳に響く音からしてわりと快活で、スタッカートまでいかないがレガートな感じの足取りは三階から二階へ。

死んだふりをしたところで相手はクマではないのだし、これはシャレにならないなぁ。どうしようかなぁ「怖いな怖いな」などと稲川淳二みたく思っているうちに、幽霊の御仁は二階から一階に降りてきた。フロアを徘徊しているらしい。

そこらへんで帰ってくれませんかねと心中に思っていたら、どうもそういう気分ではなかった模様で、地下にかかる階段を見下ろしている按配の気配が伝わってきた。人間ああいうときの五感ってすごいものがありますよね。

とうとう足音は僕のいる地下室に向けて降り始めた。足音の響きからして階段半ばまで降りたことは確実だったが、その人?は突如、ワハハハハと笑い出した。哄笑とは、こういう笑い声のことを言うのだなぁと思うくらいの呵々大笑であったが、こちらはつられて恐怖の泣き笑い。
意識が途絶え、気がつくと朝だった。あれが幻であったか現であったかはもはや定かではない。ただ、あの笑い声の邪気のない感じだけははっきりと覚えている。