続、白竜さん

自叙帖 100%コークス

2泊3日の箱根ぶらり取材では結局のところ掘っても掘っても鉱脈に行き当たらず、さながらシーシュポスのような疲労困憊した心持ちで宿を後にすることにした。

シーシュポスによる絵に描いたような徒労

帰りは電車ではなく、白竜さんの車で都心まで送っていただけることになった。白竜さんは今回の取材の首尾にさほどこだわりはない様子だった。きっとかなり楽天的な人なのだ。

「最近ね、これがすごくいいんだよね」と取り出したのは、宇多田ヒカルの『First Love』で、「すごいよね、彼女」と、手放しの褒めよう。

「そうですね」と僕は短く答えるのみだった。心中、本を仕上げられる自信はなく、どうしたものかと考え、窓の外を見ていた。

「あれ?この会話の調子、なんかに似ているな」と、思い出したのは、森田芳光の「ときめきに死す」だ。

テロリストの工藤(沢田研二)は迎えの車に乗る。走行中に窓を開けた工藤は「涼しいですね」と、少し目の奥に笑みを湛えて運転手に話しかける。男はてっきり気候の話だと思い、「そうでしょう」と答える。途端にすっと工藤の目は悲しげな、冷めた調子になる。

「そうか、工藤はこの先に待ち受ける要人暗殺に向けての精神について“涼しい”と語っていたのだな」などと、白竜さんを置いてけぼりにして考えていたら、「クロレッツ、いる?」と話しかけられ、「え?あ、はい」とまったく涼しさのかけらもないヘドモド具合でクロレッツを受け取る。

クロレッツをふたりしてにちゃにちゃ噛みつつ、東京へ。

翌日、毎日新聞社の出版部へ行き、「このままではどうもこうもならん」と編集長に報告し、あるいは名誉ある撤退をと進言したのだが、まあ早計に過ぎるからもう少し待てと言われ、再度取材することになった。

一冊の本をつくるには、最低でも10時間くらいは話を聞かないとそれなりの厚みは出ない。10時間でも少ないくらいだ。
ところが箱根で割いた時間は6時間くらいで、しかもその内容は3時間程度だという感覚だった。

だから僕には、この分量で一冊の本にまとめられる自信がなかった。なにせ初めてのゴーストライティングなのに資料はおろか、ご本人から詳細なエピソードが語られないのだから。

けれども、「だから無理だ」とできない理由を数え上げていたらいつまで経ってもできないままではないか!と、ブラック企業でも通用するような理屈で自分を叱咤し、「やればできる子だよ」と鼓舞することにした。

それから数週間後、白竜さんご指定の京王プラザホテルのスウィートルームで3時間あまりインタビューすることとなった。

京王プラザはもはや新宿にある凡庸なホテルではなく、韓信における井陘の戦い、つまり背水の陣を敷く地であった。この企画でしくじれば、もう二度と仕事の依頼はないんじゃないかと思いつつ、そうなったとしてもなんとかなるだろう。書籍の仕事がなんぼのもんじゃい!という開き直りがよかったのが、わりといい感じで取材を終えることができた。

ちょっとした高揚感を白竜さんも味わったのか。部屋を出ると、「送って行ってあげるよ」と僕に言う。新宿駅まで歩き、そこから電車に乗るつもりだったし、当時、僕は荻窪に住んでいたので、白竜さんの申し出に、「なんて親切なんだろう」と、やはり取材で意思の疎通が得られるのっていいもんだなぁなどと思っていた。

エレベーターは地下二階の駐車場へ。大型のSUVに乗り込み、車はぶぃーんと地上へ。そしてキィッと小気味良いブレーキの音がしたかと思うと、白竜さんは「じゃあ」と一言。

へ?と思いつつ降ろされたのはホテルの正面玄関だった。「これ、資料として聴いておいて」と白竜さんのアルバムを何枚か渡され、改めて「じゃあ!」と言い置くと、車は僕を後に走りだした。