リハビリの途中

自叙帖 100%コークス

事の顛末はもう覚えていないのだけど、ひどく恋人にとって腹立たしく悲しいことを僕がしでかしたことがあったらしく、それから一週間ばかり電話をしてもいつも留守番メッセージに切り替わり、連絡がとれなくなったことがあった。

それからまた数日経って連絡してみたら電話に出た。ひさしぶり。元気にしてた?なんて会話を交わした。

なんだかわからないままに謝るというのは、よくないのだろうけれど、そんなにまでして怒るというからには相当の理由があるはずだと思いはしても、僕も付き合いの中でそれなりに学習していたので、「なんで怒ったの?」と尋ねてもどうやら逆効果だということはわかったので、とにかく会いたいと言って、彼女の部屋に向かった。

ドアを開けた彼女は最後に会った日に比べたら清々しい顔をしていて、僕はホッとした。

のも束の間、彼女の部屋の真ん中に大きなビニール袋があり、その中を見て僕は「アー!」と大声をあげてしまった。

それは彼女の部屋においていた僕のお気に入りのライダーズジャケットで、あまりにも気に入りすぎてほとんど袖を通したことがない。(だいたい僕は気に入って買った服とか靴下が10年くらい保つのだけど、その訳はほとんど身につけないからで、本末転倒なのだ)。

ライダーズジャケットはコットン製だけど、遠目にはレザーに見えるような光沢があり、しっかりとした生地で撥水も抜群でとにかくかっこいい。
そのお気に入りのライダーズジャケットがズタズタに破かれ、ビニール袋に放り込まれていた。部屋に入ったらいちばんに目立つところに。

アー!の後、僕はごく自然にこう続けた。
「服がかわいそう」

それを聞いた彼女はヘナヘナと崩れ落ち、ハァーと落胆の溜息を漏らした。あれ、なんかやらかした?と思った僕は、「いや、ほら、ほとんど着てないしさ」と言ったのだけど、彼女は「そうか」と言うとタバコに火をつけ、また「そうか」と言うと、ふふふと笑い出した。

これだけを読むと、彼女はひどいことをしていると思えるかもしれないし、実際彼女は後に「ひどいことをしているとわかっている」と言っていた。なぜなら僕がすごく大切にしているとわかっていて破っているわけだから。

けれど、その表面上の“ひどい”の底に何があるかというと、暖簾に腕押し、糠に釘の僕に少しは自分の怒りや悲しみをわかって欲しくて出た行動で、「そうか、それほどまでに悲しかったのか」という僕のリアクションを期待していたのに、僕はと言えば第一声が「服がかわいそう」と来たものだ。

「なに? それじゃ私の気持ちはどうでもいいの?」と彼女が思うのも当然だ、と後になってようよう考えてわかったけれど、その場ではそういう心の機微がわからない。

そしてひどくややこしいことに、僕は「よくもオレが大切にしている服を切り裂いたな!」と怒ったわけでもなく、彼女に「なんでこんなことをしたんだ!」と怒りをぶつけたわけでもないことだ。怒りはいっさいない。

万物に生命は宿るではないけれど、服の服としての命をまっとうさせてあげられなかったことに「かわいそう」と思ってしまったからで、でもこれを取り繕うつもりで説明してもやっぱり彼女は「そうかぁ」と脱力して笑うだけだったのは、服の命を感じても恋人の感情には気づかないからで、やっぱり僕はちょっとおかしい。

後日聞いたところによると、この事件を機に「“よく人の心なんてわからないから”というけれど、本当にこの人には期待しても仕方がないんだと諦めがついた」という。