山口彊さんの思い出

自叙帖 100%コークス

一時期、「見習い募集 15歳以上 年齢不問」の募集を知らせる近所の鮨屋の案内を店の前を通るたびに立ち止まって見ていたことがある。そんな中でも、どうにかこうにか暮らせたのは、米櫃の米が底を尽きかけた頃に決まってゴーストライティングの依頼が舞い込んだからだ。

基本的に僕は今はもうゴーストライティングの仕事は請け負っていない。別に経済的に余裕ができたわけではなく、その理由はゴーストというように、この仕事が匿名だからだ。
そう言うと「有名になりたいのか」と早合点する人もいるだろうけれど、そんなことではなく、ゴーストライティングには責任が発生しない座りの悪さがあるからだ。

もちろん著者や編集者に対して、仕事をする上での責任はあるけれど、それを読者というか世間と呼んでいいかわからないが、ともかく書いているものを明らかにしたときに、矢面に立つこともなく、自分が何者であるかを明確にしないまま曖昧な場所にいるというのは、自分の足で立っていない、生きていないと思うようになったからだ。
ただ、「基本的に」というのは、名指しで「お願いしたい」と言われた場合は請けるようにしている。そういう一手請け負う感覚は好きだ。

長年ゴーストライティングという代筆家業をしていてよかったと思うこともあって、とりわけ印象深いのは、広島と長崎で被爆された「二重被爆」の山口彊さんの自伝をお手伝いしたことだ。

二重被爆した人は100人以上いると推定されているけれど、実際のところはわからない。山口さんの場合、三菱の造船所に勤めていて広島が壊滅して、その報告を兼ねて実家のある長崎に戻り、社に出勤した直後、長崎で被爆した。同僚の人は海路で長崎に着いた桟橋で閃光を見、「また来た!」とそのまま海に飛び込んだそうだ。

僕は山口さんからその話を聞き、そういう咄嗟の行動がとれるだろうかと自問自答したのだが、やっぱり現代っ子らしく光を確認してしまって、その場に立ちすくんでしまうんじゃないだろうかと思ったりもした。生き残った人たちの嗅覚というか身体性というのは、やはり一様に高いのだなと感じたものだ。

僕が山口さんの話を聞く中で「山口さんに出会えてよかったな」と思ったことがある。それは稀有な体験をされた貴重な語り部であるとか悲惨な事件を乗り越えるだけの生命力を山口さんに見た、といった割りと大雑把な感動を引き起こしやすい世間相場のお話に乗っかったからではない。
山口さんのお話の中に織り込まれた情感や感性に触れることができた、いわば山口さんという存在の存在らしさに触れた瞬間があると思えたことが、僕にとって最大の喜びだった。
でも、その喜びは怖気を奮うような話を通じてだった。

明るい夏の昼の空に「もうひとつの太陽」と山口さんが形容された白光が炸裂した後、一転してのどす黒い空と黒い雨の降る中、ひどい火傷を負った山口さんは港近くから会社の寮へと向けて歩き始めた。
夏の夕刻でありながら真っ暗で灯りもない中、川沿いを歩き続けたところ、向こうからひとりの大人を先頭に子供の集団がやって来た。おそらく小学校の教師と生徒たちだと見当をつけた。

体には服と呼べるようなものはなく、布切れがまとわりついているのみで、幽霊のように手の甲を向けた先からは腕の皮膚が手袋のように垂れ下がり、性別も定かではなかった。
「定かではなかった」と言い終えた後、山口さんは「かろうじて膨らんだ胸が女の子だとわかった」と続けた。そのとき僕は山口さんの眼に映った彼女たちの姿をはっきりと見た。

そして、恐ろしいことに彼女たちは「一言も話さず。悲鳴も漏らさず」幽鬼のような格好で、山口さんの右を静かに過ぎ、闇の中へ去って行ったという。
山口さんの左手は川で燃える街の灯りに川面は煌々と照らされ、口々に「熱い」「助けて」と叫ぶ人たちが次々と水の中へ入り、やがてぷかりと浮かび流れていく。それは筏のようだった。

「恐ろしいことに」といったのは、教師と児童の集団が一言も発しておらず、通常僕らはハリウッド映画のような阿鼻叫喚がリアルだと思ってしまうが、実際のところはそうではなかった、からではない。

山口さんは被爆した際、耳の鼓膜が破れていた。史実というものを客観的に捉えようとする態度からすれば、「だから右側の彼女たちの声が聴こえなかった」と、実際のところを推論する。

でもそれは違う。

広島のその時、その場にいたのは、世界の中でたったひとり、山口さんだけだった。山口さんが見聞きした世界以外に世界はなかった。彼女たちは一言も発さず、そして左手からは人々の悲鳴が聞こえた。それ以外の世界はなかった。

たったひとりで「一言も話さず。悲鳴も漏らさず」に闇へと歩み去る一団を見送ったその眼差しと耳の澄ませ方に僕は広島で起きたことの恐ろしさを本当に体感した。

客観的に語りようのない出来事が本当に起きたのだと、そのとき僕は理解した。伝えようのない事実の断片をなんとかつかまえることができた気がした瞬間だった。
客観というのは幽霊のようなもので、この世に足の付かない場所で、そこから何かを見ようとしてもそれは幽霊の視点なのだ。生きているものの眼から見ることは安易さを許さない。どんな悲惨なことも見続けなくてはならない。僕は山口さんにそのことを教えてもらった。

2010年1月4日に山口さんは亡くなった。その前日、夢に山口さんが出てきた。ニコニコしながら手を振ってスーッと消えた。目が覚めて「何かあったのかな」と思っていたらお亡くなりになったと知った。

ご家族の方に「父はあの本のことをすごく喜んでいました」と聞いたので、挨拶に来てくれたのだなと得心し、ニコニコした笑顔になんだかホッとした。