2010年12月27日 vol.4

自叙帖 100%コークス

それがカネであれ土地であれ、誇りであれブリオッシュであれ、自分が「それらのモノをなぜ獲得したがるのか?」という問いについてあれこれ考えるのではなく、問いそのものを生きなければ、それもまた概念の所有に向かうだろう。考えることに意義を見出していては、僕は生きることを放棄し、眠ったまま生きることになるだろう。

1時間ばかりの坂口さんへの取材では、聞き置くべき質疑を行なっているのだが、それとは並行して、僕の意識の流れには、そういうメッセージをが流れこんできた。

インタビュー後、国立駅に向かうべく並んで歩き信号が変わるのを待っていたら、僕らから3メートルほど離れ、同じく信号待ちをしている50代後半くらいの女性がいた。

 彼女は電話の相手にひどく苛ついた口調で怒鳴っていた。
そのとき僕は坂口さんが電話の主に対し、独特の入射角をとっている感じがした。

「あれ、この人、話しかけるつもりんじゃないか?」と思っていたら信号が変わり僕らは渡り始めた。彼女は僕らとは違う方向に進む。

「ああいう感情を剥き出しにしている状態ってすごくおもしろいよね。いつもだったら“ちょっといいですか?どうしたんですか?”と話しかけたり、お茶くらい誘うんだけど」

ああ、やっぱりどうりで。だからそういう感じなんだな。どういう感じなのかを説明するのは難しいけれど。

都会だと感情を剥き出しにする人が洗練されていないように見えるから、つい僕も煙たがったり敬遠したがる。やっぱり信号を待っているなら「待っているっぽい」感じの演出に自分が努めていて、それを周囲にも期待していて、「そうではない」空気を乱れとして扱ってしまう。

感情の揺れを乱れとして知覚し、眉をひそめてしまうとき忘れがちなのは、穏やかさを秩序化するという均した感情に自分を追いやることで、それは穏やかであるよりは権力に自分を添わせてしまっている。そのことに無自覚なのは本当は怖い。

電車に乗り込み新宿へ向かう。

ホームレスの中には冬に地下鉄の構内で暮らし、寒さをしのぐ人たちがいるがそれは地下鉄の社員だけでなく地上人は知らない。
なぜなら検索してもその情報は出てこないから。本当に重要な情報は情報にならないのだ、といった話を車中で猛烈な勢いで話す。僕は瀑布の飛沫を浴び続ける。

話は転調を繰り返し、「もうこうなったら政治家になるしかないよね」と彼は言う。「なるんなら総理大臣でしょ。でも選挙には出ないけどね」

混み始めた電車の中の周囲の人も話を聴いている気配がある。選挙には出ないが総理大臣になるというくだりでやや失笑の雰囲気を感じた。

「この前、岡田准一君のラジオに出て、坂口さんの将来の夢はと聞かれて、“やっぱり総理大臣でしょ”と言ったんだけど、それが2回目で、実はいちばん最初に言ったのは高校の同窓会だったんだよね」

坂口さんが「総理大臣になる」と口にした現場に居合わせたのは僕が3人目となるわけだ。
つまり僕が最後の目撃者でもあった。