2010年12月27日 vol.10

自叙帖 100%コークス

8月31日に東京は千駄木のマンションの契約を解除し、荷物を送り出したのだが、引っ越し間際になって生活用品の数々が壊れ始め、最終的にはパソコンがオシャカになってしまい、すべてのデータが消えるなど、てんやわんやがあったのだけど、これを幸いにと少し長めの夏休みのつもりでブログの更新もおやすみしていました。

さて、僕は東京から少し離れたところに住み始めたわけですが、東京のマンションがなくなってみると、けっこうどこにいても同じだなという気になり始めて、これなら思っていたよりも早く、かの聖ユーグの言うところの

「世界のあらゆる場所を故郷と思えるようになった人間はそれなりの人物である。だが、それにもまして完璧なのは、全世界のいたるところが異郷であると悟った人間なのである」

という心境に近づいたかなって思えて、少し嬉しい。

「2010年12月27日」というタイトルで始まったこのところの一連のブログだったけれど、当初はオチめいたものを考えていたけれど、書くうちにどんどん脱線してしまったので、これを脱線と考えず、別のルートに乗ったと思って書くことにします。

なんで博多に引っ越しするの?と聞かれることも多い。これから一年ほどかけて鹿児島のしょうぶ学園に取材するという理由もあるけれど、だったら鹿児島に住めばいいわけだ。
博多に土地勘はあまりないし、知り合いもほとんどいない。震災後、東京から離れた人は博多よりも熊本のほうが多いみたいで、そこで博多というリトルトーキョーみたいな街を選んだのはなんでか?という振り出しに戻るわけだけど、答えは「なんとなく」でしかない。

それにこれが引っ越しなのかというと、仕事のフィールドは東京なので月に一度は東京に行き、一週間くらいは暮らす。だったら東京に住み続ければいいじゃんと思うし、うっかり僕もそう思ったりするけれど、でもこの先、居心地のいい街(千駄木は僕の育った岡本に次いでイイ感じの街で10年近くも住んじゃった)で、これまで通りの仕事のやり方で暮らすという反復を続けることに心地よさを覚えるのは、なんか違う。

自分自身の体感としては心地いいけれど、その体感に殉じてしまってはいけないというアラートがすごく鳴っている。どこから響く音なのだそれは?と問われたら、身体からとしか言いようがない。

警告音は汚染水が地下水に達したからとか福島第1原発4号機の倒壊だとか、予測されるリスクのみに依拠しているわけでもなさそうだ。というのもなんだかわからないことが起きているときに取るべきは、兵法から言っても逃げる、遠ざかるで、そのため移住した人もそれなりにいるわけだけれど、僕は移住した先で穏やかなこれまで通りの生活をしたいから越したわけじゃない。

たぶん僕は「東京は福島から250キロ離れているから安全だ」とオリンピック開催地の選考にあたっての記者会見で言ってしまえるような、つまり「福島は安全ではないし、そこは我々の日常とは違うから」というふうに分断して続行できてしまえると思えるシステムから抜け出たいんだと思う。

僕は逃散したいんだと思う。逃散とは徴税のシステムに耐えかねた農民が、一揆だとかの目に見える抵抗ではなく、逃げてしまうことでシステムの網目から出ようとした、権力が「これが現実だ。受け入れろ」と規定しにかかる現実をジャンプしてみせる。

着地点はどこか?といえば、それはいまはわからないけれど、「泣くよかひっ飛べ」でやってみないと、きっと後悔する。それだけはわかる。