官邸前を那覇から望む

雑報 星の航海術

5年ぶりに那覇空港に降り立つと、内臓がぎりぎりと締め上げられるような暑さに迎えられた。梅雨明けした那覇は“うだるような”ではなく、文字通り全身がうだった。

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地元の人の弁では猛烈な暑さの日には天ぷらを食べるという。本州の人間としては食欲の湧かない日に、まして油物を口にする気にもなれない。
しかし、沖縄の地口の表現は忘れたが、苛烈な熱気は体から「脂を絞る」のだという。たしかに内臓が干上がりそうな熱波に向けての「脂」という言い回しは言い得て妙だ。そうだと頷くような暑さだった。

6月30日、安倍政権は集団自衛権の解釈変更を閣議決定で行った。抗議する約4万人が官邸前に集まったその日、私は那覇にいた。元はヤクザでいまは唄者になったA氏へのインタビューをするためだ。

取材の本筋の話をよそに、ときにA氏はテーブルを叩き、気合の入っていない日本人の現状を嘆き、尖閣や竹島といった領土問題について吠えた。一方で「沖縄は日本ではない。琉球だよ」と言う。
領土は中心からコンパスでぐるりとめぐらす範囲で描かるようなものだとしたら、「日本ではない」沖縄に生まれ育った彼が日本の領土問題について憂う。その真意の芯はどこにあるかわからない。

翌日、A氏の経営する民謡酒場でショーのあいまに彼と友人たちとの会話を聞いたのだが、これほど濃いウチナーグチを聞いたのは初めてで、まったくわからなかった。沖縄に来訪している外国人観光客の大半を占める中国人のしゃべる広東語や北京語を聞くのと変わらない。それくらい理解しかねた。

言葉も民俗も「ほとんど日本とは思えない」と感じたが、そう思った途端、「ほとんど日本」の意味するところがわからないことに気付く。まったき日本を体験したことなどない。たぶん誰もないのではないか。
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ただ自分の生きてきた範囲のごく限られた体験で触れたことを以って日本だと思っているだけで、つまりは個々の思っている記憶が日本のすべてで、それ以外の地図で見たような、統計で見たような、「ここからここまでが日本」と呼べるような日本に出会ったことなどない。
「ほとんど日本ではない」と言ってしまう自分は宛にならず、「ほとんどの日本がわからない」まま生きている。

そうではあっても、何事につけ「わからなさ」を許せない世相ではあるのは間違いない。
官邸を取り囲む人の数の正確さを問題にする人がいた。そんなに盛り上がってはいないという揶揄の意味もあるのだろうが、それよりもあらゆる時と場において正確さを重んじたい心性がうかがえる。

怒りの声を挙げた人に、正義を信じて疑わないイノセントさを見て取り慨嘆する人がいた。自分の感じていることより計測されたもの、「より正しくあろうとすることが正しい」という信念に貫かれているのだ。
新宿で焼身自殺をはかった人がいた。迷惑だからやめろ、テロだと詰る。迷惑か否かだけがあなたの生きるよすがなのかと思う。

何であれ、「ここからここまで」と正しく記述でき、目に見える形にしないと信じることを自らに許せない。手間暇をかけて実感を持たないと不安で堪らない人がたくさんいる。

そうであるならば、解釈で憲法の内実を変えようとするなどは不正の極みであり、為政者に怒りの声を挙げるのは当然なのだが、正しくあろうとするあまり、「怒りでは何もなしえない」とたしなめる人も現れる。正しさに飲み込まれるといったい自分がどの地点に立ち、何を言っているのかもわからなくなるのか。

この国でいちばん問題になっているのは、実は正しさを巡ってのことなのかもしれない。

怒りは何も生まないわけではない。怒りは力を生む。力が物事を前進させてきた。
しかし、力は人間を新たにしたわけではない。人間は生まれてこの方、前進するどころか後退している。それを噛み締めておかないと過誤を犯す。あのとき見えていたはずのことが見えなくなってしまう。

平和を守れ、戦争をするなという。正しい言明だ。
それなら、いままでの平和な日本を維持するために代償を正しく払ってきた沖縄はどうなるかと思いは行き当たる。「ほとんど日本ではない」から視野の外だったのだ。
怒りの声はこの島にも満ちていた。考えてみればずっとずっと怒っていたのだ。

国際通りの荒みは激しい。土産物店からハイサイおじさんが聞こえた。この歌は大阪のラジオから火が着いたが、子供の頃は異国的で明るい曲だとばかり思っていた。ずいぶん後になってから、喜納昌吉の隣家に住む沖縄戦を生き延び、心を病んだ人のことを歌ったのだと知った。おじさんが娘を我が手で殺したとか、いや奥さんが手をくだしたのだとか、背景についてさまざまな憶測があるが、本当のところはわからない。

けれども沖縄戦では、ガマの中で同様のことが行われていたという証言が多数残っている。10万に及ぶ民間人が死んだのだ。親族の誰かが死んでいる。誰しもが心当たりのある暗さ、重さを、声にならない怒りをその身に沈めてきたのではなかったか。
私は記述してしまえるような正しいストーリーにならない、切れ切れの、ときに疎ましく感じる数多の声を聞き逃してきたのだ。

今回の滞在では、一知半解であることを承知で使うのだが「マブイ(魂)を落とした」としか表しようのない人と出くわす機会が多かった。前回の旅では感じなかった腹にこたえるような重さ、暗さを感じた。いったいどうしたことだろうと驚いた。

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ウチナーグチから、やまとことばに替えたA氏が言うには、「沖縄の人は明るいと思われているけど。そうじゃないよ。暗いよ。自殺も多いよ」という。

力を誇示して生きてきたA氏の全身には彫り物がある。その刺青は侠気の証より魔除けに近い。重さ、暗さに引きずられないための。
彼は見えない世界の話について饒舌に語る。
「うちの店は、霊感の強い人が来た日は入る客は減るのよ」と腕周りに何重もつけた腕輪を触りながら言う。私の訪れた日、客は極端に少なかった。

暴力とスピリチュアルな世界は一見相容れないと思えるが、少なくとも彼の生きてきた暮らしでは、スピリチュアルはごく身近なものとしてあった。彼に喧嘩の仕方を教えた叔父は空手の遣い手だった。三人を相手にした街頭の手合わせ、カケダメシでは「実力差がありすぎるから」と自分は座ったままで三人を難なく相手した。
普段から叔父だけには見える相手に体を動かしては研究に勤しんでいた。彼は叔父について「見えないものが見えた人だったよ」とさらりという。見えすぎたせいなのか後に自殺した。

その話を聞いた夜、暗い路地の突き当りをいくと不意にあらわれた亀甲墓を見て、そうかと腑に落ちた。そういう土壌なのだと思った。この感覚をエクゾティズムと言われようが、そう感じた。

「沖縄は日本ではない」と彼が言ったことを帰り際、空港で思い出す。私にわかるようにやまとことばで話した。日本語で「沖縄は日本ではない」と聞くとき、日本がぶれて見え出す。ぶれているほうが現実なのだ。

もうひとつの現実めいた正しい現実世界では、他国の戦争に日本は参加できるようになった。愚かしい選択を不正な手続きによって行ったと思う。
しかし、この問題を正しく解き明かせる軸がどこにあるのか。私にはわからなくなってきた。